『ケカリトメネ修道院規約』 第74条 試訳(外部からの視線の排除)

 なんやかんやで今回も1ヶ月以上経っての更新となってしまいました。最近はこの翻訳以外では、インド=ヨーロッパ語族の基礎知識を持っておきたいということで、ClacksonのIndo-European Linguistics: An Introductionを少しずつ読んでいます。議論を把握しきれないまま流してしまっている部分もありますが、例えば喉音理論や母音階梯をはじめ、ギリシア語を読む上でももっと早く具体的に知っておけばよかったと思わされる内容ばかりです。今までに言語学をきちんと学んだことがなかったので、風間喜代三『言語学』(第2版)を予め読んで当たったのですが、特に術語に対応する英語が併記されている点も含め非常に助けになり、これを読まなければ本当にClacksonには歯が立たなかったと思います。

目次

 

第74条について

 第74条では、ケカリトメネ修道院の修道生活の場が外から覗き見られてはならないことが定められています。修道生活の場、とあえて述べたのは、以下に見る通り、この規定で扱われている場所は、前回の第79条でも触れられている皇族の屋敷からも覗き見られてはならないと述べられているためです。第79条の方にも、アンナやその子孫に対し、屋敷の建物について、「ケカリトメネとフィラントロポスの両修道院」の内部を覗き見ることのできるような現状変更を禁じる規定がありました*1。修道女たちとエイレーネーやアンナの暮らす場所が機能的にも空間的にも区分されていたことが見て取れます。

訳文を読む上での注意点

 底本として、ゴティエによる校訂を使用し、適宜英訳を参照しています。

 また、訳文の段落分けは訳者によるもので、訳文の作成にあたって訳者が補った単語は〔〕で表示しています。構文・語義の解釈に特に不安のある部分は青字で示し、原語を付記しています。

『ケカリトメネ修道院規約』第74条 試訳(底本pp. 128-129、英訳pp. 703-704)

「本修道院はいかなる方向からも覗き見られてはならないということについて」

 この点もまた、先に述べられたことのうちのいずれにも劣らないどころか、むしろ最も必要な事項に属するものであり、おざなりな検討や考慮では不足であるように私には思われた。というのも、修道女たちの生活の場であり、彼女たちの修道生活のために私によって指定された〔場所〕はすべて、神のもとで永久に、いかなる部分においても、またいかなる方面からも、覗き見られることなく保たれることを私は望んでいるのである。たとえ、正しく考えようと欲する者にとっては、そこに何らかの視野を新たに設けることが私の意図にまったく沿わず、またこれに反するのだということが、これまでに書かれた〔条文〕の内容や意味から明白であるとしても、〔私には〕この点に関する干渉を特に明文的に禁止する必要があると思われた。

 それゆえにこそ私は、この点に関する私の命令によって、いかなる時においても、修道女たちの生活のために割り当てられた区域の中の何かに対して、あるいは内側のものであれ外側のものであれ彼女たちの中庭に対して、また禁域(περίβολον*2)に対して、皇族の住居(δεσποτικὰ οἰκήματα*3 )からであれその他の〔建物〕からであれ、またそれらの外側の中庭からであれ内側の〔中庭〕からであれ、いかなる場所からも、修道院の保護者の同意があろうとその他の事情であろうと、何らかの視線が生じることを抑止し、排除する。そして、修道院の〔事物*4〕に対する視界が、上層階の露出部分(ἡλιακόν τι καὶ ὕψωμα)や、扉、出入り口、窓、何らかの小窓を通じて設けられることは、いかなる理由であれ(それがもっともらしく思われようと)決して許されることがない。

 ところで、以上のようなことが、たとえ意図せずとも何者かによってなされた場合、修道院の当代の保護者は、これによる害が確認され次第、たとえそれ〔=害〕が非常にわずかなものであったとしても、調査や議論をさしはさむことなく直ちにそれを除く必要がある。というのも、既に示されている通り、我が恩寵に満たされし〔=ケカリトメネ〕神の母の修道院に身を捧げる修道女たちの修道院内における暮らしが、いかなる方法によっても、またいかなる人物からも覗き見られないものであり続けることを、私はこの件に関して以上のように配慮することによって保証しているためである。

 また、私の現在の生からの離別の後に、〔修道院の〕外側の中庭と修道院の禁域(τὸ τῆς μονῆς περιβόλιον)との間の漆喰固めの(ἐγχόρηγος)隔壁に対して、何らかの建物を密接させたりその上に建設したりすること、あるいは、どのようなものであれ別の〔壁〕を新築することは許されず、完全に禁じられる。というのも、私はこの壁が同じ外見に、また私が神の元へと旅立つその日に有している状態にとどまり続け、増築されることであれ低められることであれ、いかなる変更も決して受けることがないことを望んでいるためである。

要旨

 ・修道生活の場は外部から覗き見られてはならない
 ・修道院の保護者は、外部からの視野に気づき次第これを取り除くこと
修道院の外側の中庭と禁域を仕切る壁への変更は不可

課題と疑問点

peribolonとperibolionは「禁域」でよいか

 今回、訳文第2段落と第4段落に当たる箇所に、それぞれperibolon、peribolionという単語が出てきています。ここでのperibolonは、形容詞peribolosの中性形が名詞的に用いられているものです。一方、peribolionについても、辞書(LSJ)を確認するとperibolosを参照するよう指示があります。そのため、上記の二つの単語の意味しうる範囲はほぼ同じであるとひとまず考えてよいと思います。

 しかし、現にこの条文のそれぞれの箇所をどう解釈すべきか考えたとき、このperibolosの持ちうる意味の広さが問題になってきます。

先のLSJでは、今回に関わる限りでは、

・「取り巻いている壁(II. 1)」
・「(壁などによって)囲まれている場所(II. 2)」

の語義が挙げられています。要するに、peribolonもperibolionも、辞書的には壁そのものと、その内部の領域の双方を意味しうるということになります。

 以上を念頭に条文に立ち戻りますが、先に第4段落のperibolionに目を向けたいと思います。この単語は、「外側の中庭とperibolionとの間の壁に変更が加えられてはならない」という趣旨の記述に登場します。そのため、このperibolionについては、明らかに囲われた領域を指すものと考えることができます。校訂者のゴティエも英訳者のジョーダンも、ともにこれに沿った訳語(enceinte, enclosure)を当てています。

 他方で、第2段落のperibolonは、外部から覗き見られてはならないものとして並列されている以下三つの物の一つとして挙げられています。

①修道女たちの生活のために割り当てられた区域の中の物
②内外問わず中庭
③peribolon

ジョーダンは、こちらにもenclosureという訳を当て、ケカリトメネ修道院規約のうち、修道院の空間構成に関わる記述を分析しているミツィウもまたこれに従っています*5。一方ゴティエは、このperibolonについては壁という語義を採用しており(le mur d'enceinte)、解釈が分かれています。後者で言われている壁は、先のperibolionを囲む壁のことであると考えられます。

 並列されているもの同士が必ずしも排他的に見えないこともあり、どちらの解釈も不可能とはいえないと思いますが、私としては、このperibolonもまた領域として捉えたいと思います。というのも、先に見た第4段落の「peribolionと修道院の外側の中庭を区切る壁に変更が加えられてはならない」という定めが、本規定の「修道院が覗き見られることがないようにする」という趣旨の下でなされている以上、この壁には外部からの視界の遮断という役割が期待されていたことが明らかであり、そのうえで壁自体もまた見られてはならないという規定がなされるのはやや不自然に思われるためです。

 以上のことから私は、第74条のperibolonおよびperibolionはいずれも領域として理解しました。ビザンツ修道院には、壁で囲われ、修道士や修道女が基本的にそこから出ることなく修道生活を送る区域がありました。そこでは、外界との出入り、とりわけ異性の進入は原則として厳しく制限されていました*6。第74条のperibolon/peribolionもまた、ちょうどこのような区域を指すものであると考え、ここではさしあたり「禁域」という訳を当てています。ビザンツ修道院におけるperibolon/peribolionという言葉、あるいはこの言葉で表される区域について、適切な理解・訳語が知られている場合は、ぜひコメント等お寄せいただければ幸いです。

次回予告

 今回の規定は、修道女の生活する領域を外界と隔離するためのものであると考えられますが、こうした隔離の原則に対して、例えば修道女の外出に関しては、既に第4条でも見たように、修道女の外泊が可能な場合があるなど、様々な例外がありました。タルボットは、こうした例外についての規定に加えて、聖人伝などの別種の史料をも検討し、現実には修道院からの修道士・修道女の外出や、外部からの異性の訪問・進入も少なくなかったことを示しています。とりわけ女子修道院の場合は、基本的に男子禁制とはいえ、司祭をはじめ男性の進入が運営上不可欠でした。とはいえ、進入が許される男性がどういった人物か、どのスペースにどのような形で男性が入ることができるかなど、隔離の程度や様式は修道院によって微妙に異なっていました*7

 以上を踏まえ、次回からはしばらく、アンナやエイレーネーらの生活からはやや離れた内容になりますが、ケカリトメネ修道院における修道女たちと外界の隔たりに関する規定を読んでみたいと思っています。次回はまず、第17条の来客に関する規定を取り上げる予定です。

参考文献

Gautier, P.(ed.), "Le typikon de la Théotokos Kécharitôménè," Revue des études byzantines 43, 1985, pp. 5-165.
Jordan, R., "Kecharitomene: Typikon of Empress Irene Doukaina Komnene for the Convent of the Mother of God Kecharitomene in Constantinople" in J. Thomas, A. C. Hero (eds.), Byzantine Monastic Foundation Documents: A Complete Translation of the Surviving Founders' Typika and Testaments, Washington, D. C., 2000, pp. 649-724.

 

Mitsiou, E., "The Monastery of Kecharitomene and the Contribution of the Assumptionists to the Study of Female Monasticism in Byzantium," in M.-H. Blanchet and I.-A. Tudorie (eds.), L'apport des Assomptionnistes français aux études byzantines, Paris, 2017, pp. 327-344.
Talbot, A.-M., "Women's Space in Byzantine Monasteries," Dumbarton Oaks Papers 52, 1998, pp. 113-127.

注釈

*1:第79条「アンナの権利」「アンナ没後の扱い」の節参照。

*2:「課題と疑問点」参照。

*3:第79条にも同様の表現がみられる。エイレーネーやアンナらの居住する屋敷のことか。

*4:原文τὰ τοῦ μοναστηρίουに対し、校訂者ゴティエは建物(bâtiments)、英訳者ジョーダンは活動(activities)を補っている。

*5:Mitsiou, p. 337.

*6:Talbot, p. 113.

*7:Talbot, pp. 119-127.