『ケカリトメネ修道院規約』 第17条 試訳(訪問者)

 年末の多忙にかまけて今回も更新が滞ってしまいました。訳文自体は11月には既に大体できていたのですが、仕事帰りなどで疲れていると「課題と疑問点」などを書くゆとりがなく、記事の形に持っていくまでに時間がかかってしまいました。自分の訳文を何の注釈もなく、また他者のチェックも通さずにネットに放流する危険は承知しているつもりなので、初回の冒頭にも書いた通り、せめて自信のない訳語や疑問点に関してはなるべく明示し、できれば解決してから公開したいと思っています。その一方で、他の活動と並行しつつ、大型連休に頼らずとも更新を続けることも目指しているため、うまく労力を調整することが当面の課題といえます。

 翻訳の裏では、前回紹介したClacksonの教科書に一通り目を通し、SihlerのNew Compatarive Grammar of Greek and Latinを読み始めました。こちらも細かい議論はついていけずに半ば読み飛ばしてしまうことも多いのですが、ギリシア語とラテン語の経験があって(比較)言語学に関心があれば、目から鱗が次々と落ちること請け合いです。ちなみに、言語としての古典ギリシア語やラテン語について詳しく知りたい場合に手軽に見られる文献案内として、Porcus氏によるもの(Miscellanea: ギリシャ語とラテン語を知るための参考文献)が非常に参考になりました。

目次

第17条について

 第17条は、修道院への訪問者をはじめ、修道女と内外との交流に関する規定といえます。訪問者に関しては、女子修道院であるケカリトメネ修道院は男子禁制であったことから、性別によってその扱いには差が設けられています。また、修道女が病気の親を見舞いにいくための外出についてもここで取り上げられています。最初に読んだ第4条でも、皇族の修道女が病気の親族を見舞いに行き、外泊することが認められていましたが、第17条では修道女の見舞いの相手は両親に限定され、宿泊は認められていません。このことからは、皇族の修道女が外部との交流においても優遇されていたことが見て取れます。

訳文を読む上での注意点

 底本として、ゴティエによる校訂を使用し、適宜英訳を参照しています。

 また、訳文の段落分けは訳者によるもので、訳文の作成にあたって訳者が補った単語は〔〕で表示しています。構文・語義の解釈に特に不安のある部分は青字で示し、原語を付記しています。

『ケカリトメネ修道院規約』第17条 試訳(底本pp. 75-76、英訳pp. 684-685)

「訪問者たちがいかにして修道女たちと面会すべきか、また〔彼らが〕何者であり、それがどのようなときであるべきか」


 修道生活に関する教えの中のいくつもの箇所で、修道士たちには地上において血縁関係というものがないのだということが教父たちによって説かれていたとはいえ*1、人間の弱さゆえに、私は以下のように命じる。すなわち、本修道院を、修道女の母、姉妹、あるいは兄弟の嫁といった女性が訪れた場合は、彼女は院長が許可すれば修道院へと入り、差し出された食事を修道女たちとともに食べ、親族が元気であるとわかった場合は、夕方に辞去する。彼女は年に一度か二度これを行う*2

 ただし、〔その修道女が〕病気であり、しかもその病が重い場合は、〔訪問者が〕母親であれば、修道院にとどまって病気の娘を看病し、翌日同様に修道女たちと食事をともにしたうえで、夕方に辞去する。また、〔修道女に〕面会に訪れた者がその姉妹、兄弟の嫁、兄弟の〔娘である〕姪(ἀνεψιά *3 )である場合は、必ずやってきた日の夕方に辞去する。

 一方、面会のため訪問してきた者が、〔修道女の〕父、兄弟、姉妹の婿といった男性である場合、〔本修道院は〕完全に男子禁制であり、〔男性に対して〕常に閉ざされているものと私が定めているため、〔その者は〕修道院に入ることはない。そうではなく、その者は外で〔門を〕叩き、院長がそれを知らされると、面会を希望されている修道女が彼女の指示によって門まで行く。加えて、〔院長が〕それを望み、また可能であるならば、院長〔自身〕が同行する。さもなくば、院長の指示によって最も年長で誉れの高い修道女のうちの一人が〔同行する〕。そして、門扉が開いた後、〔訪問者は〕門の側に立ち、修道女と手短に話を終えて立ち去る。

 父や兄弟や姉妹の婿が面会のために訪れた修道女が病気であり、門まで行くことができないほどの場合であっても、彼ら〔訪問者〕が修道院へ入ることはない。ただし、病気の〔修道女〕が、訪れた親族に会うことを希望し、それが必要であると考えている場合は、〔その者は〕門の側へ担架で運ばれ、そこで彼〔=訪問者〕と面会しなければならず、そして連れ戻されなければならない。なぜならば、男性に対して本修道院に入る口実を与えること、そして外側の門がすべての〔男性〕に対して直ちに閉ざされないことは、私にとって非常に煩わしく、不本意なためである。というのも、純潔なる花婿へと嫁いだ者たちに対して、悪魔の横暴による害が〔訪問者と〕ともに入り込む恐れがあるがゆえに、私は男性が〔修道院への〕いかなる進入からも斥けられるのがふさわしいと信じ、このように命じているのである。男性が修道院長と面会するために修道院を訪れた場合も、同じ内容が有効でなければならない。

 また、修道女のうちのある者の父もしくは母が病気であり、息を引き取ろうとしているほどの場合で、その父もしくは母の容態の悪い修道女が、衰えた父か母に会うことを希望し、それが必要であると考えている場合は、その者は院長の指示のもとに修道院を出るが、その際年長かつ敬虔な修道女たちのうち二名を同伴する。そして、病気の父あるいは母に面会した後、修道院の外部で宿泊することはせず、夕方に修道院へ帰還する。

 加えて、修道院の〔財産〕の管理をしている者たちやその他の理由で訪ねてきた者たちで、院長に面会することが必要な者たちが、修道院内で彼女と会うことを私は望まない。彼女は、最も敬虔な二名ないし三名の老女とともに、内側の門まで出て、二つの門の間で訪問者たちと会い、修道院の〔財産〕について検討する。そして、再び修道院へと入ることで、本修道院を先述の通り男子禁制に保つ。

 だが、〔修道院長が〕外へ出て訪問者と会おうとしている用件が、必要なものではない場合、〔彼女は〕外に出ることなく、財産管理人(οἰκονόμος)もしくは司祭(πρεσβύτερος *4 )によって〔用件を〕伝えられ、有益と思われることが彼女によって手配される。

 他方、女性が彼女〔=修道院長〕との面会のために修道院へとやってきた場合、私はこの問題を彼女の判断に委ねる。というのも、彼女が外部から訪問してくる女性と、修道生活の諸規則に反する仕方で面会を行うなどということをするはずはないためである。

 また、高貴な暮らしを身にまとった世俗女性あるいは修道女が、外部から、本修道院で修道生活を行う修道女たちの徳ゆえに本修道院を訪問することを望んだ場合、彼女は決して拒まれず、修道院長の指示によって修道院に入り、修道女たちと食事をともにして夕方に辞去する。そして、訪問者が、修道院に宿泊することを希望し、それが必要であると考えている場合は、〔その者は〕そこに宿泊し、翌日に辞去する。このことは、敬虔な女性の訪問者のおのおのについて、年に一度あるいは二度生じる。このような仕方で訪問してくる女性たちは、門の近くにある貴人の建物(ἀρχονταρίκιον *5 )で休息し、その脇の通路から修道院へと出入りする。

 

要旨

【修道女宛の来客】
・修道女の親族女性は修道女を訪ねて修道院に日帰りで入ってもよい
 ・病気の修道女をその母親が訪問してきた場合は、一泊して娘を看病できる
・修道女の親族男性は男子禁制の修道院には入ることができない
 ・修道女の方が門まで出向いて面会する
 ・修道女が病気の場合も担架で門まで運ばれて面会する
【修道女の外出】
・親が病気の修道女は、日帰りで親の見舞いに行くことができる
修道院長宛の来客】
修道院長宛の男性客があった場合、修道院長は二つの門の間で面会する
 ・不要不急の場合は、財産管理人や司祭が応対する
修道院長宛の女性客への対応は、修道院長に委ねられる
【貴族女性の来客】
・貴族女性は希望に応じて訪問することも、所定の建物に一泊することもできる

 

課題と疑問点

1. 男性役職者の存在

 上に見たとおり、修道院の男子禁制の原則は第17条でも強調されており、男性の来客は、同じ条件の女性来客が修道院に入ることが許される場合であっても、進入を禁じられています。ここで注目されるのは、修道院長に宛てた来客に関して、必要最低限の場合以外に用件を修道院長に伝える者として、財産管理人(oikonomos)と司祭(?、presbyteros)が登場していることです。ケカリトメネ修道院の財産管理人と司祭は、宦官が任命されなければならないということが、それぞれ第14条と第15条で定められています。男性訪問者に女性である修道院長が接触することをを避けるため、男性である彼らが代わって応対するよう定められていたと考えられます。なお、他の修道院では、財産管理人については女性が任用される例も、また男性の司祭については特に宦官という限定がなされない例もみられることから*6、両者を宦官でなければならないとする点はケカリトメネ修道院の特徴ということができそうです。彼ら男性役職者と修道院長、また彼らと修道院の禁域との関係と隔たりがどのようなものであったのかについても、今後できれば考えてみたいと思います。

2. 貴族女性の来客

 修道女宛の来客については、修道女の親族とは別に、特に修道女自身との関係が限定されない貴族女性が訪問してくるケースについての規定がされています。この規定が具体的にどのようなケースを念頭に置いているのかについては、この箇所だけでははっきりとしません。ただし、ここまで規約を読んできた限りで一つ考えられるのは、この規定がエイレーネー自身やその子孫が修道女となった場合を予期している可能性です。第4条で、皇族の修道女が外部との交流について他の修道女たちよりも優遇されていることを考えれば、この規定についても、彼女たちに知人らとのより親密な交流を認める措置として考えることができるかもしれません。

次回予告

 次回は、やはり修道院内外の交流に関わる、第29条の門番についての規定を読みます。来年もこうして引き続き細々とギリシア語を読み進めていきたいと思います。皆様もどうかよいお年をお迎えください。

参考文献

Gautier, P.(ed.), "Le typikon de la Théotokos Kécharitôménè," Revue des études byzantines 43, 1985, pp. 5-165.
Jordan, R., "Kecharitomene: Typikon of Empress Irene Doukaina Komnene for the Convent of the Mother of God Kecharitomene in Constantinople" in J. Thomas, A. C. Hero (eds.), Byzantine Monastic Foundation Documents: A Complete Translation of the Surviving Founders' Typika and Testaments, Washington, D. C., 2000, pp. 649-724.

 

Talbot, A.-M., "Women's Space in Byzantine Monasteries," Dumbarton Oaks Papers 52, 1998, pp. 113-127.

注釈

*1:συγγένειαν μοναχοῖς μηδεμίαν εἶναι επὶ γῆς, 出典わからず。

*2:頻繁な訪問を禁じる趣旨か

*3:LSJの語義は「従姉妹」だが、ここでは姪を指すと思われる。

*4:ゴティエは、本規約の他の箇所にこの単語が現れないため正確な語義は不明としつつ、この役職を、第15条に規定されている司祭の一人で財産管理人を補助する役割を担う者と推測している(底本p. 62, n. 2)。

*5:この単語についても他に用例が知られていない(id. n. 3)。

*6:Talbot, pp. 120-121.