『ケカリトメネ修道院規約』 第19条 試訳(聖具管理係)

12世紀初頭にビザンツ皇帝アレクシオス1世コムネノスの皇后エイレーネー・ドゥーカイナがコンスタンティノープル市内に建立した女子修道院、ケカリトメネ修道院の規約書を読んでいます。既訳条文の一覧はこちら

底本:P. Gautier, (ed.), "Le typikon de la Théotokos Kécharitôménè," Revue des études byzantines 43, 1985, pp. 5-165.

英訳:R. Jordan, "Kecharitomene: Typikon of Empress Irene Doukaina Komnene for the Convent of the Mother of God Kecharitomene in Constantinople" in J. Thomas, A. C. Hero (eds.), Byzantine Monastic Foundation Documents: A Complete Translation of the Surviving Founders' Typika and Testaments, Washington, D. C., 2000, pp. 649-724.

 

目次

第19条について

 第19条は、修道女の役職のうち、聖具管理係(skeuophylakissa)の役割について定めた条文です。聖具管理係は文字通りには典礼に用いる器(skeuos)やその他の道具を管理する役職です。しかしケカリトメネ修道院規約では、これに加えてさらに二つの興味深い役割が具体的に記されています。一つは蜜蝋の取り扱いとそれを用いた蝋燭作りであり、もう一つは権利文書の管理です。以下ではそれぞれの役割について詳しく見ていきたいと思います。

備品と財産の管理

 聖具管理係の仕事として条文でまず挙げられているのは、当然ながら典礼具の管理です。こうした道具は聖具庫(skeuophylakion)に保管され、修道院長から与えられる目録に基づいて管理されることになっていました。

 彼女の管理している物品の内容を知る手がかりとして、ケカリトメネ修道院の財産目録の一部が現在に伝わっています*1。そこには、キリストが磔刑にされた聖十字架の断片が収められ、金銀の彫刻とともに飾り立てられた聖遺物箱、そして同じく金銀で装飾されたイコン、十字架などの物品が多数含まれています*2ビザンツにおける修道院典礼用具の関係について論じたタルボットは、ケカリトメネ修道院を非常に豪華な用具を使用している修道院の例として取り上げています*3

 以上のケカリトメネ修道院の財産目録は聖具管理係の持っていた目録そのものではないことに注意する必要がありますが、実際にこれらの財産の多くは聖具管理係の管理下にあったものと思われます。このように聖具管理係は、修道院にとって精神的にも経済的にも貴重な資産を管理していました。

 一方、実際に典礼の際に器具が取り出されて使用される際は、聖堂長(ekklēsiarchissa)が聖具管理係からそれらを受け取ってその後の手配を行うと定められています。聖堂長は続く第20条に規定がある役職で、修道院の聖堂内の照明や装飾を行い、典礼が行われる状況を正しく整える役割を与えられています。典礼での使用が済んだ器具は、再び聖具管理係の管理下に戻ることになっていました。すなわち大まかには、器具の保管については聖具管理係、使用については聖堂長が責任を持つという役割分担がなされていたようです。

 このような、目録に基づく管理や複数人による管理といったあり方の背景には、単なる便宜の問題だけではなく、単独の役職者に財産を管理させることが横領や窃盗などの不正を誘発しうるという懸念もあったと考えられます。実際、第19条の条文では、聖具管理係が役職を解かれる際には目録に基づいて修道院長に物品を返却するようにという指示の後に、職務に対する配慮や誠実さを欠く者は罷免されうること、横領は生神女マリア自身に対する罪であることが述べられています。

 複数人による財産管理が行われている様子は、通常使用されない典礼用具が修道院長によって施錠・封印された状態で保管されることになっている点にも見て取れます。さらにこの様子を顕著に示す例として、財物を入れた一つの箱や部屋に対して複数人が施錠や封印を行う慣行があります。例えば、ケカリトメネ修道院規約の第24条(出納係=金銭の出納を行う役職者について定めた条文)では、修道院の資金の蓄えられている箱に対し、修道院長、財産管理人、聖具管理係、2人の出納係の計5名が封印をすることが定められています。

 封印は、箱の接合部などに付着させた蝋などに印章を押すことなどによって施されるもので、鍵とは異なり第三者が箱を開けることを物理的に阻止する力はありません。しかし、箱を開ける際には封印が破れることになるため、印章を持っていない(=再度同じ封印を施すことができない)人物が勝手に箱を開けた場合には、そのことが関係者に発覚することになります。先の資金の箱についても、箱を開けて元通りに封印を施す場合は5名全員の立ち会いないし同意が必要ということになるため、例えば単独の担当者が職務の中で他の人物に気づかれずに継続的に横領を行い続ける、といったことは抑止される仕組みになっていたといえます。貴重品の管理において役職者同士の相互監視を機能させることができるシステムであったといえるでしょう。

 もちろん、規約はあくまであるべき姿を示したものにすぎないため、実際の運用がどこまで厳密であったかは別問題ですが、少なくとも理念の上では財産管理にあたって不正が起きる懸念が社会的にある程度共有されており、不正を起こさない管理体制や役割分担が必要であると思われていたことがわかります。

 資金の箱の事例で見たように、聖具管理係は第19条以外の条文にも登場しており、聖具以外の財産の管理にも関わるよう定められていました。他にも、第10条では災害や戦乱などによる経済的な危機でやむを得ない場合に修道院の財産(動産)を売却することが許されていますが、その決定に際して修道院長と協議を行う役職者の中にも聖具管理係は含まれています。聖具管理係は修道院全体の財産に関する意思決定にも携わる重要な役職でした。

蜜蝋の扱い

 ケカリトメネ修道院規約では、修道院に持ち込まれる蜜蝋について、聖具管理係が受領して会計を行ったうえで他の修道女たちとともに蝋燭を作り、規定量を超えた分については売却してその他の費用に充てることが定められていました。それでは、この蜜蝋はどこから来てどのように扱われ、どこへ売却されていったのでしょうか。

 まず蜜蝋の出所は、ケカリトメネ修道院の所領であると考えられます。規定量を超えた蜜蝋を売却するという記述からは、修道院が蜜蝋を必要に応じて購入していたのではなく、定期的に蜜蝋を得られることが予め決まっている収入源を持っていたことが読み取れます。所領の細目については残存していませんが、おそらくエーゲ海沿岸などに養蜂が営まれている所領があったのではないかと考えられます。実際、規約の第14条の財産管理人に関する規定では、彼の役割として、「輸送用の船舶が時期通りに送り出されることにより、作物その他の物品が適切な時に送り出される*4」ようにすることが挙げられています。蜜蝋もまた、こうした産物の一つであったと思われます。

 古代以来、ギリシアアナトリアといった東地中海の温暖な地域では、養蜂が盛んに行われていました。養蜂によって生み出される蜂蜜は、特に砂糖の普及以前は最も重要な甘味料であり、蜜蝋は蝋燭の原料として用いられていました。ビザンツ期においても養蜂は引き続き行われていました。10世紀のコンスタンティノス7世のもとで編纂され、その後多くの写本が作られた農業書『ゲオポニカ』でも、第15巻が養蜂にあてられています。そこでは蜂蜜と蜜蝋の収穫時期として、5月・初秋・10月の3回が挙げられています。ここに記されている収穫方法は蜜蜂を煙で追い出した上で巣箱から巣を取り出す方法であり、このときに巣の一定部分を残すことで蜂が逃げたり餓死したりすることなく持続的な収穫ができるような配慮がされていました*5

 ビザンツ修道院もまた、様々な形で養蜂に携わっていたことが知られています。例えばいくつかの聖人伝には、自ら養蜂を行う修道士たちの姿が伝えられています*6。また、アトス山のラウラ修道院の文書からは、同修道院に対して税や産物を納める人々(パロイコイ*7)の中に、蜂の巣箱を保有している世帯が多数いたことが伝えられています*8

 こうして所領からケカリトメネ修道院にもたらされた蜜蝋は、修道女たちによって蝋燭に加工されることになっていました。当時の詳細な加工方法を直接示す情報は得られませんでしたが、参考として、山田養蜂場のテレビ番組で、現代のギリシャ修道院での伝統的な製作風景が紹介されていました。木枠に渡した糸に溶かした蜜蝋を固着させて冷却することを繰り返し、最後に糸の両端を切ることで、多数の蝋燭を一度に制作することができる方法です。12世紀にもこの方法が使われていたと断言はできないものの、一見技術的には当時においても難しくなさそうで、個人的にはこれに近い方法が当時の修道院で実際に行われていたとしてもおかしくないように思います。

 蝋燭の大きさについても複数の種類が作られ、使われていたことが規約の条文からわかります。聖堂内の照明については第59~68条で、それぞれの祭礼の際および通常時のランプや蝋燭の数量と配置が定められています。特に、8月15日の生神女就寝祭の際に使われる蝋燭の中には、一本で6リトラ(約2kg)にも及ぶ大きさのものもありました。

 こうした蝋燭づくりも含め、多くの女子修道院では修道女たち自身が生産活動を修道生活の一環として行うことが推奨されていたようです。ケカリトメネ修道院でも、規約の第27条で2名の作業監督(ergodotria)が置かれることが定められており、修道院内での修道女たちによる労働の存在が前提となっていることが見て取れます。

 ただしタルボットによると、ビザンツの修道女たちは、同時期の男子修道院や、現代のギリシャの女子修道院の事例とは異なり、農作業を行うことはほとんどなかったようです。炊事や洗濯、機織りなどに始まり、小麦を挽いてパンを焼いたり、作った衣服を売ったり、決して最低限の家事労働にとどまらない生産活動や営利活動もみられたものの、修道女たちの作業内容は概ね修道院内で行うことのできるものに限られていました*9

 当時のこうした差異の背景についてタルボットは、女性にとって修道院の壁の外の畑で働くことは危険である、あるいは女性は農作業などの重労働には向いていない、などといった考え方があったのではないかとしています。そして特に小規模な女子修道院の場合、食料の自給自足ができないという事情が相対的に大きな経済的負担となっていた可能性を同氏は指摘しています。実際に、1305~1306年の飢饉に際してコンスタンティノープル総主教アタナシオス1世が女子修道院向けに小麦の配給を命じている例を同氏は挙げています*10。ケカリトメネ修道院のように多くの税収・地代・産物がもたらされる財政基盤を持ち、皇族や貴族の庇護を受けている修道院は非常に恵まれた例といえます。

 最後に、蝋燭などに使用しない蜜蝋の売却先についても検討しましょう。具体的な売却先は規約からはわかりませんが、やや時代を遡った10世紀初頭の『総督の書』がこれを想像する手がかりとなるかもしれません。この『総督の書』は、レオン6世治世下で編纂された、コンスタンティノープルで営業する商工業者に対する規定集で、中には蝋燭職人に対する規定も含まれています。そこでは、彼らの購入してよい蜜蝋の由来として、外国と並んで教会が挙げられています*11

 ケカリトメネ修道院の所領で季節ごとに収穫された蜜蝋もまた、船に積まれてコンスタンティノープルへと運ばれた後、修道女たちによって蝋燭に加工されなかった分は市場でこうした蝋燭職人の手にわたり、彼らを通じて都の人々に灯りをもたらしていたのかもしれません。

文書の管理

 ケカリトメネ修道院の聖具管理係の役割としてもう一つ規定されているのが、文書の管理です。こうした文書は、修道院が有する土地や財産などの権利の根拠となるものであり、紛争が生じた際には裁判等の場で提示されました。文書が保管される場所は明記されていませんが、規約の第77条でこの規約自体の写本が聖具庫に保管されることが定められているため、ここで言われている文書も同じく聖具庫に保管されていたのかもしれません。

 ケカリトメネ修道院の文書をめぐる聖具管理係の役割として特に興味深いのは、文書の出納を正しく行って紛失させないことのほかに、文書の虫食いが起きないようにすることがわざわざ挙げられていることです。同規約内には具体的な防虫の方策までは書かれていませんが、ほぼ同時代のアッタレイアテスの修道院の規約(本記事末尾に関連箇所を訳出)には「文書は年に三回〔巻いてある状態から〕広げられ、振られたうえで、再び安置されなければならない*12」という記述を見ることができます。これは害虫やその卵を払い落とすための処置であると考えられます。

 他に聖具管理係が物品を管理するための方策について、パライオロゴス朝期の事例をタルボットが紹介しています*13。例えば、リプス修道院(現フェナリ・イサ・ジャーミー)の規約は、典礼に用いる備品を「太陽で温め、空気に曝す*14」、すなわち虫干しするよう定めています。また、この時代の写本の中には、書物を扱う際に油や蝋で汚れることがないよう手をきれいにしてから扱うよう求める注記がされているものもあるということです。このように備品や文書の劣化を防ぐ方法が明確に述べられている史料は決して多くはないようですが、当時においても当然ながら、こうした物品を長期にわたって保管するには管理者や扱う人々による相応の意識と処置が必要であると考えられていたことがわかります。

 さて、ビザンツ修道院の組織は修道院ごとにかなり差異がありましたが、聖具管理係の役割としての文書管理のあり方にもまた、様々な違いが見られます。ビザンツ中期から後期の修道院における文書の保存と利用のあり方について整理したアダシンスカヤは、14世紀のテッサロニキ修道院の聖具管理係がさらに文書の起草も行っている例を紹介しています。また、文書管理を聖具管理係ではなく財産管理人(oikonomos)などその他の役職者が担当している場合もありました*15

 こうした違いは、文書というものが様々な側面を持っていることに由来しているのではないかと思います。例えばケカリトメネ修道院を例に考えると、財産管理人は主に修道院の建物や不動産の管理、そしていわゆる所領経営のようなことを行う(第14条)一方で、修道院内の動産や金銭の管理が聖具管理係や出納係らによって分担されることになっていたようにも見受けられます。こうした中で、文書を所領管理に不可欠な資源と見れば、所領管理の担当者である財産管理人が文書管理も管轄したとしても不自然ではなく、また文書をそれ自体修道院内で管理されるべき財産と見れば、典礼用具や資金など、その他の貴重な動産の管理者である聖具管理係らが文書を管理することも当然のように思えます。

 担当者だけでなく文書の保管場所も修道院によってまちまちで、聖具庫に保管されることもあれば、書庫(bibliotheke)に保管されることもありました。*16修道院が持っている書物の中には、典礼の際に読み上げたり歌ったりするために日常的に用いる、詩篇などを記した写本も含まれていました。こうした典礼書の存在を考えれば、やはり類似の管理方法が求められる文書管理が聖具管理係の仕事であることも自然に感じられます。

 すなわち文書とは書物、動産、不動産など、修道院の様々な財産を管理する文脈の中で扱われうるものであり、各修道院の事情に応じて文書管理のあり方にも広がりがあったのだと考えられるかもしれません。

訳文を読む上での注意点

 底本として、ゴティエによる校訂を使用し、適宜英訳を参照しています。

 また、訳文の段落分けは訳者によるもので、訳文の作成にあたって訳者が補った単語は〔〕で表示しています。構文・語義の解釈に特に不安のある部分は青字で示し、原語を付記しています。

『ケカリトメネ修道院規約』第19条 試訳(底本pp. 64-67、英訳pp. 680-681)

「聖具管理係について」

 聖具管理係が当修道院にいることもまた、私〔=皇后エイレーネー・ドゥーカイナ〕の望むところである。彼女は聖なる器や道具を守るとともに、彼女に対して明記され信頼できる引渡目録を通じて引き渡されるそれらを、あらゆる配慮に値するものとして扱わなければならない。

 同様に、当修道院において彼女は修道院長のもとで持ち込まれる蜜蝋を受領し、仔細にその収支を記帳し、会計する。彼女は修道院内で修道女たちを用いて、聖堂のあらゆる照明のために年中支出されるよう定められた蝋燭を、私によって定められた重さに従って製作しなければならず、また聖堂長(ekklēsiarchissa)に渡さなければならない。聖堂長は照明を後述〔=第20条〕の通り行う。

 また彼女〔=聖具管理係〕は、日常の必要品と祝祭における必要品を教会の勤めのために聖堂長に渡し、時期が来ればまたそれらを彼女から受け取って保護せねばならない。これに対し、必要分以上のものに関しては、修道院長によって聖具庫で施錠され封印された状態にせねばならない*17。いつであれこの役職から外される際には、彼女は信託されたものをすべて返還しなければならず、それは彼女に対して〔任命時に〕作られた引渡目録に基づいて行われなければならない。

 というのも、修道院長は役職者たちを後述の方法で罷免したり変更したりすることを権限として有するからである。すなわち、各々の役職に選任された者たちで、注意深く敬虔な態度でそれらの役職に当たる者たちは罷免されないようにするのが正当であるが、他方でそれらをなおざりにし、蔑ろにする者たちや、また同じくそれらにおいて不誠実に振る舞う者たちは、罷免して他の者を代わりとすることが正当なためである。もし役職者のうちに些細な物であれ横領に及ぶ者がいた場合は、その者は、自身が鍵を受け取ったところの汚れなく恩寵に満たされし生神女に対しての罪人となる*18

 彼女は聖具管理係だけでなく、文書管理係(chartophylakissa)にもなり、修道院のあらゆる文書による権利保証を目録とともに受け取り、それらを管理し、あらゆる配慮に値するものとして扱い、決して虫食いが起きることを許さない。何らかの書類が必要になった場合は、修道院長の決定に基づいて彼女は求められた文書を持ち出して手渡し、文書がいかなるもので、これを受領した者が誰であるのかを記帳する。その後数日が経過した際には、彼女は修道院長に知らせ、先述の通りにして取り出された文書を呼び戻すことで、それが失われないようにする。

 さて、修道院における収入となる蜜蝋の量は支出よりも大いに余分であるため、私はそのうち5ケンテナリオン〔=約160kg〕だけが聖堂等による支出の会計に留め置かれることと定め、残りについては納入されると同時に売却して修道院のその他の支出にあてることと定める。

参考:ミカエル・アッタレイアテス『定書』、文書保管に関する記述

(Gautier, P. (ed.), "La Diataxis de Michel Attaliate," Revue des études byzantines 39, 1981, pp. 76-79; 英訳pp. 352-353.)

 当修道院および私の救貧院に属する不動産の権利文書は、金印勅書の原本とともに、当修道院の聖具庫あるいはその他の安全な建物の中に置かれた箱(armaria、複数形)の中で保管されるものとする。そして、箱のそれぞれには二つの鍵が設けられ、一つは私の相続人が*19、そしてもう一つは財産管理人――不在の場合は修道院長――が所持する。さらに封印が私の相続人と修道士たちによって施され、権利文書が必要になった場合は全員が〔箱を〕開けてその文書が取り出され、その他の文書については再び同じ安全が生じる〔=鍵と封印によって保護される〕。そして、案件が終わればその文書は再び元の場所へと保管される。文書は年に三回〔巻いてある状態から〕広げられ、振られたうえで、再び安置される。全ての文書を目録(kondakion)に記載することにより、それぞれの財産に対して何通のどのような文書があるのかを一覧して把握できるようにする。

 というのも私は、神の望みのままに、取得した財産は全て合法かつこのうえなく確実な行為と権利文書、そして善意とともに取得したのであり、証人たる神にかけて、決して国家の財産を不当に扱ったり、法に違反したりしたわけではないのである。そしてこの清浄なる家々の継承者たちは、私の財産に関するあらゆる問題について調査すれば、万事において、求められている事柄について最も確実な力添えにふさわしい権利文書を見つけるであろう。

後記

 前回の更新から2年ぶりとなりました。2月にタブレットを買って通勤中に文献を格段に読みやすくなったことが半年ぐらいかけて効いてきたと思います。加えて7月にも様々な巡り合わせでイベントに出たり旅行に行ったり、普段の自分からすると信じられないほどアクティブな日々を無事に過ごしたことを思い出すと、実は自分の能力や体力の問題だと思っていることのうち、馬鹿にならない割合を周囲の人や環境が作っているのだと改めて感じています。今回の条文もギリシア語を友人に一緒に読んでもらいましたが、一人では見落としていた間違いに気づけたのはもちろんのこと、そもそもきちんと翻訳に取り組んで公開まで漕ぎ着けるきっかけになり、本当にありがたく思っています。

 次回は修道院の財産管理関連、もしくは修道女の清貧についての規定を読みたいと思っています。目標は年内のつもりでいます。無理をせずコンスタントに記事を生産するプロセスを確立したいのですが、果たしてどうなるでしょうか。今後ともよろしくお願いいたします。

参考文献

Beckh, H. (ed.), Geoponica sive Cassiani Bassi scholastici De re rustica eclogae, Leipzig, 1895.

Delehaye, H. (ed.), Deux typica byzantins de l'époque des Paléologues, Brussels, 1921.

Gautier, P. (ed.), "La Diataxis de Michel Attaliate," Revue des études byzantines 39, 1981, pp. 5-143.

Gautier, P. (ed.), "Le typikon de la Théotokos Kécharitôménè," Revue des études byzantines 43, 1985, pp. 5-165.

Jordan, R., "Kecharitomene: Typikon of Empress Irene Doukaina Komnene for the Convent of the Mother of God Kecharitomene in Constantinople" in J. Thomas, A. C. Hero (eds.), Byzantine Monastic Foundation Documents: A Complete Translation of the Surviving Founders' Typika and Testaments, Washington, D. C., 2000, pp. 649-724.

Nicole, J. (ed.), Le Livre du Préfet ou l'Edit de l'Empereur Léon le Sage sur les Corporations de Constantinople, Geneva, 1893.(『総督の書』の古い校訂。J. Koder (ed.), Das Eparchenbuch Leons des Weisen, Vienna, 1991が本来最新だが参照できず。)

 

Adashinskaya, A., "Archives and Readers: Preservation and Circulation of Documents in Byzantine Monastic Archives," New Europe College Black Sea Link Program Yearbook 2014-2015, pp. 21-60.

Germanidou, S., "Honey Culture in Byzantium: An Outline of Textual, Iconographic and Archaeological Evidence," in F. Hatjina, G. Mavrofridis and R. Jones (eds.), Beekeeping in the Mediterranean: From Antiquity to the Present, Nea Moudania, 2018.

Laiou, A. (ed.), The Economic History of Byzantium: From the Seventh through the Fifteenth Century, Washington, D. C., 2002.

Talbot, A.-M., "Byzantine Monasticism and the Liturgical Arts," in O. Z. Pevny (ed.), Perceptions of Byzantium and its neighbors: 843-1261, New York, 2000.

Talbot, A.-M., Varieties of Monastic Experience in Byzantium, 800-1453, Notre Dame, 2019.

Vikan, G. and J. Nesbitt, Security in Byzantium: Locking, Sealing and Weighing, Washington, D. C., 1980.

注釈

*1:修道院規約の現存写本(Par. Gr. 384)とは別の、現在エルサレム総主教庁所蔵となっている写本。ゴティエの校訂ではこの写本は"Sainte-Croix 57"と呼称されている。

*2:底本16, 17, 152-155頁、英訳714-717頁。

*3:Talbot, A.-M., "Byzantine Monasticism and the Liturgical Arts," in O. Z. Pevny (ed.), Perceptions of Byzantium and its neighbors: 843-1261, New York, 2000, pp.27-28.

*4:τὰ μὲν γενήματα καὶ λοιπὰ εἴδη κατὰ τὸν ἐπιτήδειον καιρὸν ἀποστελλεσθαι, τῶν διακομίζειν ταῦτα ὀφειλόντων πλοίων ἐγκαίρως ἀποστελλομένων, 底本57頁。

*5:H. Beckh, (ed.), Geoponica sive Cassiani Bassi scholastici De re rustica eclogae, Leipzig, 1895, p. 446.

*6:I. Anagnostakis, "Wild and domestic honey in middle Byzantine hagiography: Some issues relating to its production, collection and consumption," in F. Hatjina, G. Mavrofridis and R. Jones (eds.), Beekeeping in the Mediterranean: From Antiquity to the Present, Nea Moudania, 2018.

*7:この言葉が指していた人々の地位については時期や文脈により差異がある。中には例えば自分の土地を所有しているが単に税の納付先が国家以外の修道院や貴族などであるような人もいるため、少なくとも例えば「パロイコイ=小作人」といった単純なイメージだけでは割り切れない。J. Lefort, "The Rural Economy, Seventh-Twelfth Centiruies," in A. Laiou (ed.), The Economic History of Byzantium, Washington, D. C., 2002, pp. 236-240.

*8:ibid., p. 246.

*9:A.-M. Talbot, Varieties of Monastic Experience in Byzantium, 800-1453, Notre Dame, 2019, pp.86-89.

*10:ibid.

*11:「蝋燭職人は、外国から来た蜜蝋のみならず、教会から来た蜜蝋を制限なく購入するものとする。また、油に関しても事業に十分な分〔購入する〕。(Ὁ κηρουλάριος τὸν ἔξωθεν ἐρχόμενον κηρὸν ἀκωλύτως ἐξωνείσθω, ἀλλὰ καὶ τὸν ἀπὸ ἐκκλησιῶν καὶ ἔλαιον ὅσον ἂν αὐτοῖς πρὸς ἐργασίαν τῆς τέχνης ἀρκῇ.)」J. Nicole (ed.), Le Livre du Préfet ou l'Edit de l'Empereur Léon le Sage sur les Corporations de Constantinople, Geneva, 1893, p.44, 11.3.)

*12:"Ἵνα δὲ ἀποτυλίγωνται κατ' ἐνιαυτὸν ἐκ τρίτου τὰ χαρτία καὶ τινάσωνται, καὶ πάλιν ὦσιν ὑπο τὴν αυτὴν ἀσφάλειαν." P. Gautier, (ed.), "La Diataxis de Michel Attaliate," Revue des études byzantines 39, 1981, pp. 77.

*13:A.-M. Talbot, "Byzantine Monasticism and the Liturgical Arts," in O. Z. Pevny (ed.), Perceptions of Byzantium and its neighbors: 843-1261, New York, 2000, p.34.

*14:εἱληθερεῖσθαι ... καὶ εἰς ἀέρας μετεωρίζεσθαι, H. Delehaye (ed.), Deux typica byzantins de l'époque des Paléologues, Brussels, 1921, p. 118.

*15:A. Adashinskaya, "Archives and Readers: Preservation and Circulation of Documents in Byzantine Monastic Archives," New Europe College Black Sea Link Program Yearbook 2014-2015, pp. 26-28.

*16:ibid., pp. 24-26.

*17:ビザンツ期には技術的に錠前の信頼性がいまだ低かったこともあり、錠と封印はしばしば併用された(G. Vikan and J. Nesbitt, Security in Byzantium: Locking, Sealing and Weighing, Washington, D. C., 1980, pp.4-5)。

*18:直前の第18条に定められた役職者の任命の儀式では、生神女マリアが自ら役職者を任命するということが象徴されている。新任の役職者はイコンの前に置かれた鍵を手に取り、修道院長は役職者に対し「生神女があなたをこの役職に指名する」という言葉をかけることになっていた。個人的には、この任命の儀礼とある意味で対を成す役職者の罷免の話が、同じ第18条ではなく、聖具管理係という個別の役職について定められた第19条に入ってから思い出したように出てくるのが興味深い。

*19:ビザンツでは有力者が自ら創設した修道院の運営や財産に関わる権利と義務を子孫に継承させることが広く行われていた。アッタレイアテスの修道院もその一例である。また、ケカリトメネ修道院における創設者エイレーネー・ドゥーカイナと長女アンナ・コムネナもまさに同様の事例である。