『ケカリトメネ修道院規約』第18条 試訳(役職者の任命)

 気がつけば季節限定でやっているのかというぐらいの更新頻度になっていますが、続きを読みます。告知以外を完全に放置していたわけではなく、何度か単発の記事を書こうとはしていたのですが、必要な時間まで気力が続かずあまりうまくいきませんでした。働きながら続けることを目標としている一方で、あくまで趣味でやっていることである以上、書くことに好奇心を奉仕させるのではなく、好きに色々調べ物をして気が向いたら書くということを繰り返していくのが王道なのかもしれない、と思い直しています。

目次

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第18条について 

役職者の任命権

 第18条は、前回取り上げた門番を含めた役職者について、その任命の方法と儀礼の次第を定めるものです。ケカリトメネ修道院では、役職者の選任と任命は修道院長が行うことになっていました。ただし、すべてのビザンツ修道院修道院長が役職者を任命していたわけではなく、例えば14世紀にミカエル8世の姪のテオドラ・シュナデネが建立したベバイア・エルピス修道院のように、役職者の多くを修道女たちが自ら選出すると定められている修道院もあったようです*1

 また、こうした任命権者の規定はあくまで「かくあるべし」というルールにすぎないことにも注意する必要があります。現実にその任命権者がルール通り権利を行使することが円満にできていたかどうかを知るためには、規範史料である修道院の規約を見るだけでは本来十分ではなく、聖人伝あるいは典礼に関する規定といった、異なる角度から修道院の運営や生活の実情に言及している史料を参照することが必要です。実際、例えば11世紀に活躍した新神学者シメオンの『講話』では、役職を求める修道士たちが徒党を組んで修道院長に任命を迫る事例が言及されている(詳細は今回調べきれず)ということです*2。ケカリトメネ修道院の規約にも、修道院長や役職者の任命にあたって争いや情実が差し挟まれることがないよう定める規定(第12条)が設けられています。こうした条文の存在もまた、当時の修道院の創設者や指導者が、人事をめぐるトラブルは実際に起こりうる事態であると認識していたということを示しているといえます。

 修道院の中にあった序列や区分は役職だけではありませんでした。そして、それらのあり方もまた各修道院の事情によって異なっていました。ケカリトメネ修道院では、すでに第4条で見たように、創設者エイレーネーの孫娘や貴族出身の修道女は特権的な生活を認められていました。また、例えば数百人規模の修道共同体を有していたストゥディオス修道院について、クラウスミュラーは、役職の有無、聖職者として叙階されているか否か、服装の格式の上下という、合わせて三種類の区分が規約上で入り組んでいたとしています。加えて同修道院では、院長対修道士ではなく、修道士間の奉仕・指導関係も、制度的な裏付けはともかく実態としては行われていました*3

任命の儀式

 第18条ではまた、役職者の任命の儀式の次第についても述べられています。役職者は聖三祝文が朗唱された後に進み出て*4、まずはおそらく内陣の前の生神女マリアのイコンに対して三度跪きます*5。そして、その前に置かれた自身の役職に関する規約条文の写しを受領します。このとき、門番のように職務に鍵の取り扱いが付随する役職の場合は、任命を受ける修道女はその鍵も同時に受領するものとされています。その後彼女は修道院長に対して平伏して立ち上がり、頭を下げて任命の言葉(「汚れなく恩寵に満たされし〔=ケカリトメネ〕生神女があなたをこの役職に指名する」)を受けることになっていました。

 以上の儀式の中で、修道女が鍵を受け取った後に行う平伏の動作は、ビザンツ初期の修道院では同輩に対する懺悔の意味合いの強いものでしたが、後に転じて広く敬意や服従を示すのに用いられるようになりました*6。平伏はまた、修道院の備品の破損などに対する罰としても用いられることがありました。例えばストゥディオス修道院の罰則集では、陶器の水差しを割ってしまった修道士に対して100回から300回の平伏が課せられており、見方によっては体罰のような様相を呈しています*7。平伏する修道士の姿は図像の中にも残されています。例えば、ストゥディオス修道院で制作され、現在は大英図書館に所蔵されている写本『テオドロス詩篇』の挿絵では、修道士たちが新たに選出された修道院長に対して平伏する姿が描かれています

 平伏を終えて立ち上がった役職者に対し、修道院長は「生神女があなたをこの役職に任命する」という言葉をかけます。現実には修道院長が決定を行っているにもかかわらず、生神女マリアによる任命という理念が語られる、こうしたある種の二重性は、当の修道院長の選任においてはさらに注目すべきものとなります。というのも、とりわけ修道院長を修道女や修道士たちが自ら選出する修道院の場合、「修道院長の権威の淵源はどこか」という問題は、修道院長とその他のメンバーとの力関係にも関わってくるからです。この点については、クラウスミュラーが先の『テオドロス詩篇』の図像などを用いて論じていますが、詳しくは修道院長の任命について定めた第11条を読む際などに紹介したいと思います。いずれにせよ、役職者に任命される修道女は儀式に際しては生神女マリアと修道院長の双方に服従の意を示し、職務の遂行にあたっては両者に対して誠実であることが求められたといえるでしょう。

訳文を読む上での注意点

 底本として、ゴティエによる校訂を使用し、適宜英訳を参照しています。

 また、訳文の段落分けは訳者によるもので、訳文の作成にあたって訳者が補った単語は〔〕で表示しています。構文・語義の解釈に特に不安のある部分は青字で示し、原語を付記しています。

『ケカリトメネ修道院規約』第18条 試訳(底本62~65頁、英訳680頁)

「役職者たちの任命が、何者によって、いかにして行われるべきかについて」

 当修道院の役職者たちの選定と任命は、修道院長が自身の考えのもとに選定し、任命することによって行う。すなわち、ある者が何らかの役職に任命されることが必要な際は、まず鍵が聖なる内陣の前に置かれるとともに*8、その役職についての文言が私のこの規約から書き写され、それらとともに〔置かれる〕。そして聖三祝文が唱えられると、役職に指名された者が進み出る。彼女は三度跪いて鍵を取った後、修道院長に頭を下げるが、その前に修道院長の足の前に平伏して立ち上がる。修道院長は以下の言葉をかけることによって彼女を任命する。「汚れなく恩寵に満たされし〔=ケカリトメネ〕生神女があなたをこの役職に指名する」。しかし、鍵の伴わない役職については、修道院長によって言い渡される任命の文句と、聖なる内陣の前の場所から前述の各役職に関して書かれた規定を受け取ることで十分である。

 また、〔新任ではない他の〕役職者たちも同じく、彼女ら各人に任せられた役職に関する個別の規定〔の写し〕を聖なる内陣の前の場所から受領する必要がある。これにより彼女らは、〔各人が〕どこから役職を受けているか、およびどのように役職の遂行を約束しているかを〔改めて〕知るのである。

次回予告

 次回は第19条以下のその他の役職者に関する規定、もしくは第14条の財産管理人に関する規定を読みたいと思っています。年明けに記事の原型を書いた頃には、次は修道院長の任命について定めている第11条、もしくは修道院長や役職者の選出にあたっての混乱を戒める第12条を読みたいと思っていたのですが、一年近く寝かせてしまうとやはり関心も変わっているものです。

 関心の変化といえば、当初はアンナ・コムネナの後半生について知りたくてこの修道院規約を読み始めたわけですが、そのことがきっかけで最近はむしろビザンツの社会やコンスタンティノープルの人々の生活に対する興味が大変深まってきています。社会人になってビザンツギリシア語からだんだんと縁遠くなっていく寂しい予感に抵抗しようと細々と始めた調べ物が昔よりも自分の視野を着実に広げていることを感じるとき、手探りながらこの試みに取り組んでみて良かったという思いを新たにします。

参考文献

Gautier, P. (ed.), "Le typikon de la Théotokos Evergétis," Revue des études byzantines 40, 1982, pp. 5-101.
Gautier, P. (ed.), "Le typikon de la Théotokos Kécharitôménè," Revue des études byzantines 43, 1985, pp. 5-165.
Jordan, R., "Kecharitomene: Typikon of Empress Irene Doukaina Komnene for the Convent of the Mother of God Kecharitomene in Constantinople" in J. Thomas, A. C. Hero (eds.), Byzantine Monastic Foundation Documents: A Complete Translation of the Surviving Founders' Typika and Testaments, Washington, D. C., 2000, pp. 649-724.
Migne, J.-P. (ed.), Patrologia Graeca, vol. 99, Paris, 1860.

 

Krausmüller, D., "Abbots and Monks in Eleventh-Century Stoudios: An Analysis of Rituals of Installation and Their Depictions in Illuminated Manuscripts," Revue des études byzantines 64-65, 2006-2007, pp. 255-282.
Krausmüller, D., "Multiple Hierarchies: Servants and Masters, Monastic Officers, Ordained Monks, and Wearers of the Great and the Small Habit at the Stoudios Monastery (10th-11th Centuries)," Byzantinoslavica 74, 2016, pp. 92-114.
Talbot, A.-M., Varieties of Monastic Experience in Byzantium, 800-1453, Notre Dame, 2019.

 

 

注釈

*1:英訳、xxxi-xxxii頁。ジャイルズ・コンスタブルによる解説。

*2:D. Krausmüller, "Multiple Hierarchies: Servants and Masters, Monastic Officers, Ordained Monks, and Wearers of the Great and the Small Habit at the Stoudios Monastery (10th-11th Centuries)," Byzantinoslavica 74, 2016, p. 99.

*3:D. Krausmüller, "Multiple Hierarchies".

*4:聖三祝文は「聖なる神よ、聖なる強者よ、聖なる不死者よ、我らを憐れみたまえ」という内容の祈りの言葉。「聖なる強者」と「聖なる不死者」はそれぞれキリストと聖霊聖神)を指す。文言や解釈のあり方は古代末期に議論の対象となっていたが、ここで扱っているコムネノス朝時代には既に以上の意味で理解されるようになっていた(R. F. Taft, "trisagion" in Oxford Dictionary of Byzantium.)。

*5:ここで最初に修道女が跪く対象がマリアのイコンであるということは第18条の中には明記されていないが、修道院長による任命の言葉にマリアが出てきていること、またエウエルゲティス修道院規約の役職者の任命に関する規定(第29条)に「鍵がキリストあるいはマリアのイコンの前に置かれ、任命される者は三度跪いてこれを受け取る」と書かれていることからそのように考えた。11世紀半ばに建立されたエウエルゲティス修道院の規約は、ケカリトメネ修道院も含めた後の多くの修道院の規約と一致する内容や文言を含んでおり、前者が後世に広範な影響を及ぼしたことが指摘されている。先に引いたエウエルゲティス規約第29条は、今回のケカリトメネ規約第18条と一致する文言を含んでいる。

*6:D. Krausmüller, "Abbots and Monks in Eleventh-Century Stoudios: An Analysis of Rituals of Installation and Their Depictions in Illuminated Manuscripts," Revue des études byzantines 64-65, 2006-2007, pp. 259-262.

*7:Migne, Patrologia Graeca, vol. 99, coll. 1737-1738; A.-M. Talbot, Varieties of Monastic Experience in Byzantium, 800-1453, pp. 22-24.

*8:ゴティエによればすなわち身廊と内陣を区切るイコノスタシスの前(底本63頁、注5)。