『ケカリトメネ修道院規約』 第29条 試訳(門番)

 今回は門番について定めた第29条を読みます。訳文自体は今年の頭にほぼできていたのですが、長い間寝かせることになってしまいました。世間は佐藤二葉さんの漫画『アンナ・コムネナ』出版の知らせで持ちきりですが、アンナ関連史料を訳出している(というか今のところそれしかない)ブログとしては応援しない手はないため、改めてお知らせの記事を出したいと思います。

目次

第29条について

 ケカリトメネ修道院規約の中で、第19条から第29条までの11箇条は、それぞれ修道女が就任する役職について定めたものです。これらの役職は、具体的には聖具管理係(skeuophylakissa)、聖堂長(ekklēsiarchissa)、食料管理係、ワイン管理係(oinochoēs)、穀物庫係(hōreiaria)、出納係(docheiaria、金銭担当と衣服担当の2名)、食堂係(trapezaria)、風紀監督(epistēmonarchissa)、作業監督(ergodotria、2名)、そして門番(pylōros)からなっています*1

 門番の役割は、日中に修道院の門の鍵を保管し(夕方に院長に返却)、院長の許可なく人の出入りが発生しないようにすることと定められています。門番の手元には修道院への外部からの来客について定めた第17条の写しが置かれるものとされていることから、ここでいう門とは、修道生活の場と修道院外の街路とを直接隔てるもので、第80条に出てくる皇族屋敷と禁域を区切るものとは異なるものと考えられます。

 門番の手元に置かれることが定められている鍵、そして規約の関係条項の写しは、役職者一般の任命方法について定めた第18条の中で、聖堂で行われる各役職者の任命の儀式の際にも使用されることになっており、役職の象徴としての役割も与えられています。

 門番の普段いる場所について、ケカリトメネ修道院の空間的構成についての記述を整理したミツィウは、門とは隔てられた門番用の建物があったと想定していますが*2、個人的には第29条の条文だけを見る限り、門番小屋のような特別な建物を想定することは難しいと思います。

 というのも、条文内では門番に対し、門に常駐するのではなく「aphōrismenosな建物(oikiskos)」にいるよう定める箇所があり、ミツィウの想定もこの記述を受けたものと思われるのですが、このaphōrismenosという単語については、「(境界で)区切られた」という原義の他に、転じて「特に定められた」という解釈も可能であり、実際、規約内でも先に触れた第18条に「定められた職務(diakonia aphōristheisa)」のように、空間的な分離を含意しない用法が見られます。

 加えて、問題の箇所では「彼女もまたaphōrismenosな建物で姉妹の共同体とともに座っている*3」「何であれ業務を完了し次第再び中に入って他の者たちとともに着席する*4」とされていること、さらに、門番は来客を受けて門へと出ていく前に一度修道院長の指示を仰ぎ、必要に応じて門へと出向いて再び戻るよう定められていることからも、ミツィウのようにaphōrismenosを原義に近い用法で捉え、門番があえて特別な建物に詰めていると考えるよりは、門番は他の修道女と同じく普段過ごすよう「指定された建物」にいると考える方が妥当ではないかと思います。

 最後に、ビザンツの女子修道院において、修道院長以下門番を含めた運営に関わる役職を女性が担っていたことについて、タルボットによる重要な指摘を紹介しておきたいと思います。同氏は、ビザンツの女性にとって女子修道院が、世俗社会ではほとんど閉ざされていた、自身の能力を活かすことのできる責任ある役割に就く機会を得られる数少ない場であったと述べています*5。中でも特に修道院長は、教会会議で自身の修道院の土地に関する権利をめぐる訴えを起こすなど、公的、政治的な活動も行っていたことを同氏は例示しています*6

 この、ビザンツでは修道院に入ることが女性にとって単に社会からの隠退ではなく、むしろある種の社会的地位の獲得という一面を持ちえたという点は、修道院の規約だけを読んでいると気づきにくく、また修道院すなわち社会と隔絶した場、という先入観によって見えなくなってしまいやすい部分でもあると思います(正直なところ訳者自身もあまり考えが及んでいませんでした)。前回触れた、アンナ・コムネナにとって修道院の保護者の地位やその敷地への居住が、男性の領域への進出を助けた可能性があるというネヴィルの議論とも関連する点といえるでしょう。

訳文を読む上での注意点

 底本として、ゴティエによる校訂を使用し、適宜英訳を参照しています。

 また、訳文の段落分けは訳者によるもので、訳文の作成にあたって訳者が補った単語は〔〕で表示しています。構文・語義の解釈に特に不安のある部分は青字で示し、原語を付記しています。

『ケカリトメネ修道院規約』第29条 試訳(底本75-76頁、英訳684-685頁)

「門番について」

 修道院長は、門の鍵を保管する女性(門番ともいう*7)をも任命しなければならない。その者はまた、院長の同意がない限り決して門が開かれないよう、まして院長に知られることなく何者かが修道院へ出入りすることもないよう配慮する。それゆえ、これらのことに関する条項で、どのように、いつ、どのような訪問者が修道女たちに面会すべきかを規定したもの〔=第17条〕が書き写され、彼女はこれを手元に置く。これにより、門番は本規約の条文を知った上で、院長に〔訪問者の来訪を〕知らせるとともに、院長の指示により、本規約の効力に基づいて面会が行われる。また、この役に任命される者は、敬虔な暮らしを送っており、かつこの姉妹の共同体全体から人品を保証されている老女でなければならない。彼女は、毎夕鍵を持ち込み、院長に渡す。また、自身との面会のためにやってきた親族と、院長の勧めなく会うこともなく、彼女の指示のもと、指示された通りの方法で彼らに面会する。しかしながら、彼女が門に常駐することを私は望まず、彼女もまた指定された建物で姉妹の共同体とともに座っているよう定める。そして、彼女が門の方へと呼ばれていることを鐘によって知らされ、門へと行く必要が生じた場合は、院長の命令によって出向き、何であれ業務を完了し次第再び中に入って他の者たちとともに着席する。

要旨

【門番の役割】
・日中の鍵の管理
・院長の許可なく人の出入りが発生しないようにすること
 ・門番は、人の出入りについて定めた規約第17条の写しを手元に置く
 ・門番自身の親族との面会にも院長の許可と指示が必要
・普段は他の修道女たちとともに過ごす
【門番の資格】
・敬虔かつ高齢であること

次回予告

 次回は修道院長による役職者の任命について定めた第18条を読みたいと思っています。

参考文献

Gautier, P.(ed.), "Le typikon de la Théotokos Kécharitôménè," Revue des études byzantines 43, 1985, pp. 5-165.
Jordan, R., "Kecharitomene: Typikon of Empress Irene Doukaina Komnene for the Convent of the Mother of God Kecharitomene in Constantinople" in J. Thomas, A. C. Hero (eds.), Byzantine Monastic Foundation Documents: A Complete Translation of the Surviving Founders' Typika and Testaments, Washington, D. C., 2000, pp. 649-724.

Mitsiou, E., "The Monastery of Kecharitomene and the Contribution of the Assumptionists to the Study of Female Monasticism in Byzantium," in M.-H. Blanchet and I.-A. Tudorie(eds.), L'apport des Assomptionnistes français aux études byzantines, Paris, 2017, pp. 327-344.
Talbot, A.-M., Varieties of Monastic Experience in Byzantium, 800-1453, Notre Dame, 2019.

注釈

*1:役職名の訳は仮のもので、該当条文を訳した際に変更する可能性あり。

*2:"a house set apart from the gate assigned to the doorkeeper," E. Mitsiou, "The Monastery of Kecharitomene and the Contribution of the Assumptionists to the Study of Female Monasticism in Byzantium," in M.-H. Blanchet and I.-A. Tudorie(eds.), L'apport des Assomptionnistes français aux études byzantines, Paris, 2017, pp. 336, 339.

*3:"καθῆσθαι καὶ αὐτὴν ἐν τῷ ἀφωρισμένῳ οἰκίσκῳ μετὰ τῆς ἀδελφότητος"

*4:"τὴν διακονίαν ὁποία ἐστὶ πληρώσασα εἰσελεύσεται αὖθις καὶ συγκαθεσθήσεται ταῖς λοιπαῖς"

*5:A.-M. Talbot, Varieties of Monastic Experience in Byzantium, 800-1453, Notre Dame, 2019, p.99.

*6:Talbot, p.85.

*7:写本(https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/btv1b10722867j/f75)右頁下から7行目を見る限り、ゴティエ版1018~1019行目ἢν καὶ πυλωρὸν ὀνομάζομενのἢνはἣνの誤植と思われる。