ブログ案内

 ビザンツ史に興味のある会社員によるブログです。気が向いた時に自分なりに読んで面白かった史料を訳したり、文献を紹介したりしていければと思っています。内容については可能な範囲で正確を期するつもりですが、間違いや自信のない箇所もどうしても出てきてしまっています。ご指摘があれば検討の上修正を加えたいと思います。これまでに書いた記事の一覧は以下の通りです。

ケカリトメネ修道院規約 試訳

エイレーネー・ドゥーカイナによって創設され、アンナ・コムネナの屋敷の一つがあったと考えられる修道院の規約です。

第3条(保護者)
第4条(皇族・貴族の修道女)
第17条(訪問者)
第18条(役職者の任命)
第19条(聖具管理係)
第29条(門番)
第74条(外部からの視線の排除)
第79条(エイレーネーとその子孫の住居)
第80条(保護者・追加規定)

底本:P. Gautier (ed.), "Le typikon de la Théotokos Kécharitôménè," Revue des études byzantines 43, 1985, pp. 5-165.
英訳(参考):R. Jordan, "Kecharitomene: Typikon of Empress Irene Doukaina Komnene for the Convent of the Mother of God Kecharitomene in Constantinople" in J. Thomas, A. C. Hero (eds.), Byzantine Monastic Foundation Documents: A Complete Translation of the Surviving Founders' Typika and Testaments, Washington, D. C., 2000, pp. 649-724. 

 

文献紹介

L. Neville, Anna Komnene: The Life and Work of a Medieval Historian, New York, 2016.

覚書

エイレーネー・ドゥーカイナの読書とミカエル・プセルロスの母

お知らせ

佐藤二葉『アンナ・コムネナ』第1巻刊行
佐藤二葉『アンナ・コムネナ』第2巻刊行
佐藤二葉『アンナ・コムネナ』第3巻刊行
「『アンナ・コムネナ』のウラガワ!」開催

引用について

 そういった需要はまずないと思いますが、ここに掲載してある訳文を引用したいという場合は、典拠を明示していただければ連絡は不要です(訳文は後から断りなく修正する場合があります)。ただし、万が一レポートなどの調べ物の途中で辿り着いた学生の方がこのブログの内容を使いたいと思われた場合は、このブログの記述そのものではなく、引かれている文献を参考にするように(Wikipediaのケースと同様)していただきたいと思います。よくわからない場合は先生など指導者の方に相談してください。

覚書:エイレーネー・ドゥーカイナの読書とミカエル・プセルロスの母

『アレクシアス』の中でアンナ・コムネナは、自身が幼い頃の思い出を時折語っています。ある日アンナは、昼食の時間になっても読書をする母エイレーネーに対して「なぜそんなに難しいご本が読めるのですか」と尋ねます。エイレーネーは、「あなたももっと本を読めば楽しめるようになりますよ」と優しく答え、アンナに感銘を与えました。

『アンナ・コムネナ』や『歴史学の慰め』でも取り上げられている、微笑ましく印象深いアンナの思い出ですが、『アレクシアス』の前後の文脈を踏まえると、このエピソードを記すとき、アンナはここで母親への追憶に加えて、さらなる技巧に心を向けているように思います。

エイレーネーの読書のエピソードは、『アレクシアス』の5巻8~9章、アレクシオス1世が帝位についた翌年の1082年、哲学者のヨハネス・イタロスが破門された事件に関する記述の一部として現れます。

この箇所の内容の順序を大まかに見ると、まず導入として、アレクシオスがノルマン軍に対する遠征から帰還した際にイタロスの教説によって教会が混乱状態にあったことが述べられた後、①イタロスの来歴が生い立ちからアレクシオス即位前の動向まで説明され、②続いて皇帝となったアレクシオスが学問の復興と混乱の粛正を図ったこと、③そしてその結果イタロスの審問が行われて彼が破門されるに至ったことが述べられます。

以上の流れの中で、アンナはエイレーネーの件を、①イタロスの来歴と②アレクシオスの即位後の行動の記述の間に、「話の途中だが、少し横道に入ろう*1」と断って差し挟んでいます。

単にイタロスの破門を伝えたいだけであれば、この箇所の記述は後半のアレクシオス即位後の出来事(②③)を描写するだけでも成立したはずです。しかし、アンナはあえてこの記述に時間的な広がりを与え、イタロスという人物の来歴について多くの紙幅を割いたうえ、一見無関係であるはずの自身の母親のエピソードも加えることを選びました。こうした前半部分の記述はなぜ盛り込まれたのでしょうか。以下に検討してみましょう。

アンナはイタロスの事件について記述するにあたり、イタロスという人物の弁論術の素養の欠如や論敵に対する過度な攻撃性など、学問上・性格上の欠点をたびたび指摘しています。こうした欠点の原因を、彼女はイタロスの背景、特に彼が受けた教育(そして時にラテン人というルーツ)に求めています。「この者については実に最初から語らなければならない」――『アレクシアス』の記述はそれゆえに、彼の人格形成を時系列に沿って語ることとなります。

アンナの説明するイタロスの前半生は次のようなものです。イタリア半島出身のラテン人だった彼は、ビザンツ帝国がイタリアにおける勢力を失っていくことになる戦乱の中で、父とともにシチリアから南イタリアを経てコンスタンティノープルへやってきます。彼が幼い頃に受けた教育は「イタリア人式の軍事」でした。さらにイタロスが教育を受けた時期のコンスタンティノープルでは学問が蔑ろにされており、彼も「がさつで、性格の荒々しい学者たち」から教育を受けたといいます。イタロスが受けた教育は不十分で粗暴なものであったということが印象付けられます。

一方、同じ時代の中で例外的な優れた学者としてアンナがイタロスと対照しているのが、ミカエル・プセルロスです。哲学や歴史学など、分野を問わない膨大な著作が現代まで伝わるプセルロスは、コンスタンティノス9世から「哲学者の頭」の役職を授けられ、当時の皇帝たちの交代にも関わるなど、政治的にも大きな影響力を持った人物です*2。プセルロスはイタロスの師でもありましたが、アンナはイタロスが謙虚さを欠いてプセルロスと対立したために学問の奥義を正しく学ぶことができず、学識の差は歴然としていたといいます。「イタロスのプセロス(プセルロス)への眼差しは燃えるようで、狂おしさをおびていた、しかし他方の者はイタロスのばかげた言葉のはるか上空をゆうゆうと飛翔していた。」

なぜプセルロスはイタロスと異なり、学問の停滞の時代の中で優れた学者であることができたのでしょうか。アンナの述べるところでは、その理由はプセルロスが当時の教師に師事するのではなく、自らの才能と神の助けによって知識や学問を極めたことにありました。そしてその神の助けをもたらしたものこそ、アンナによれば、「神の母(マリア)の尊い像に徹夜の祈りを捧げ、息子のために熱い涙を流して行った母の熱心な嘆願」だったのです。

実はここで登場するプセルロスの母親への言及は、他でもなくプセルロスが自身の母親テオドテに対して書き上げた追悼文を元にして書かれています。追悼文には、プセルロス自身の前半生を通じてテオドテが献身的な教育を行った様子が語られています*3。『アレクシアス』の執筆にあたり、アンナはプセルロスの著作を大いに参考にしていました*4。イタロスの能力や性格の原因を教育や生い立ちに求める構成そのものも、プセルロスの著作を踏まえた両者の比較ありきの書き方なのではないかと思います。

さて、『アレクシアス』の記述は再びイタロスの記述に戻り、プセルロスの跡を継いで「哲学者たちの頭」に就任した彼が起こした様々な問題へと移ります。そしてそれらと対比されるかのように続いて現れるのが、「昼夜を通して神の言葉の探求に懸命に取り組んでいる尊い一組の夫婦」(アレクシオス1世とエイレーネー)であり、その事績とはすなわち冒頭のエイレーネーの読書の思い出であり、続くアレクシオスによる学問の復興とイタロスの審問の記述なのです。

こうしてみると、問題のエイレーネーのエピソードをアンナは「脱線」と述べていますが、これは決して何となく出てきた思い出話ではなく、娘に読書の楽しみを教える教養深い母親としてのエイレーネーの像が、先ほどのプセルロスの母親のモチーフを反復する形で配置されているものといえるのではないでしょうか。

アメリカの研究者ピーター・ハトリーは、追悼文などの伝記的要素を持ったビザンツ期の史料に登場する人物の母親のエピソードに着目し、こうした種類の記述は、しばしば母親自身というよりも子について語るための手段であったと論じています。例えばプセルロスの場合、彼は母親の献身的な教育について語ることで自身の学識について語っているのだ、とハトリーは指摘します。自身について語りたいことを母親のエピソードとして語ることで、ギリシア・ローマの文学の伝統において忌避されていた「自分自身についてあまりにはっきり語ること(περιαυτολογία)」を回避することができたのです*5。アンナもまた、エイレーネーについて語ることで、自身の教養についても語っていると考えられそうです。

以上を踏まえると、アンナの記述は、「イタロスは弾劾に値する誤った学問を行った。そしてその学識は時代や教育や出自の産物だった。これに対してプセルロスは、学問の停滞の時代にとらわれない傑出した学者であった。その才能を形成したのは彼の母親による神の母マリアへの祈りであるが、皇后エイレーネーもまた、難解な神学書を読む優れた教養人であるとともに、娘であるアンナを教え導く優れた母親だった(また、書き手のアンナもそうした優れた教育を受けている)。そしてなんといってもイタロスが学んだ停滞の時代そのものを終わらせ、イタロスが引き起こした混乱を収めたのがアレクシオス1世なのだ」という図式になっているといえます。

アンナはプセルロスの著作を媒介として巧みに活用することでイタロス事件の叙述を進めました。彼女はイタロスとプセルロスを、そしてまたイタロスと自分自身の家族をはっきりと対照させ、自分たちのことを、正しく優れた学問を実践し擁護する側の者たちとして描き出しています。昼時に読書をする皇后の姿は、息子のための祈りで夜を明かすプセルロスの母親と同様、学識と人格形成をめぐる対比構造を作るためにアンナがあえてここで語ったものだったのではないでしょうか。

今回の記事は、「哲学者たちの頭」の役職のことが気になってアンナのイタロスに関する記述を探してみたところ、エイレーネーの読書のエピソードに思いがけず行き当たり、アンナの筆蹟の奥深さを改めて感じて書いた覚書です。本来は『アレクシアス』をもっと広く参照したりプセルロスの著作を直接参照したりすべきところかと思いますし、この件について直接論じている文献もあるかもしれませんが、ひとまず手元でできる内容で結ばせていただきます。今後も気が向けばこの種の記事を掲載していければと思いますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

参考文献

アンナ=コムニニ(相野洋三訳)『アレクシアス』、悠書館、2020年。
井上浩一『歴史学の慰め アンナ・コムネナの生涯と作品』、白水社、2019年。
佐藤二葉『アンナ・コムネナ』1巻、星海社、2021年。
根津由喜夫『ビザンツ文人伝 言葉で戦った男たちの矜持と憂愁』、白水社、2025年。
Hatlie, P., "Images of Motherhood and Self in Byzantine Literature," Dumbarton Oaks Papers, 63, 2009, pp. 41-57.

*1:相野洋三訳。以下同様

*2:プセルロスについては、根津由喜夫『ビザンツ文人伝』白水社、2025年、152~204頁。

*3:追悼文(『母への賛辞』)については、根津由喜夫『ビザンツ文人伝』白水社、2025年、153~160頁。

*4:井上浩一『歴史学の慰め アンナ・コムネナの生涯と作品』、白水社、2019年、187~191、195~198頁。

*5:P. Hatlie, "Images of Motherhood and Self in Byzantine Literature," Dumbarton Oaks Papers, 63, 2009, pp. 41-57.

『ケカリトメネ修道院規約』 第19条 試訳(聖具管理係)

12世紀初頭にビザンツ皇帝アレクシオス1世コムネノスの皇后エイレーネー・ドゥーカイナがコンスタンティノープル市内に建立した女子修道院、ケカリトメネ修道院の規約書を読んでいます。既訳条文の一覧はこちら。

底本:P. Gautier, (ed.), "Le typikon de la Théotokos Kécharitôménè," Revue des études byzantines 43, 1985, pp. 5-165.

英訳:R. Jordan, "Kecharitomene: Typikon of Empress Irene Doukaina Komnene for the Convent of the Mother of God Kecharitomene in Constantinople" in J. Thomas, A. C. Hero (eds.), Byzantine Monastic Foundation Documents: A Complete Translation of the Surviving Founders' Typika and Testaments, Washington, D. C., 2000, pp. 649-724.

 

目次

第19条について

 第19条は、修道女の役職のうち、聖具管理係(skeuophylakissa)の役割について定めた条文です。聖具管理係は文字通りには典礼に用いる器(skeuos)やその他の道具を管理する役職です。しかしケカリトメネ修道院規約では、これに加えてさらに二つの興味深い役割が具体的に記されています。一つは蜜蝋の取り扱いとそれを用いた蝋燭作りであり、もう一つは権利文書の管理です。以下ではそれぞれの役割について詳しく見ていきたいと思います。

備品と財産の管理

 聖具管理係の仕事として条文でまず挙げられているのは、当然ながら典礼具の管理です。こうした道具は聖具庫(skeuophylakion)に保管され、修道院長から与えられる目録に基づいて管理されることになっていました。

 彼女の管理している物品の内容を知る手がかりとして、ケカリトメネ修道院の財産目録の一部が現在に伝わっています*1。そこには、キリストが磔刑にされた聖十字架の断片が収められ、金銀の彫刻とともに飾り立てられた聖遺物箱、そして同じく金銀で装飾されたイコン、十字架などの物品が多数含まれています*2。ビザンツにおける修道院と典礼用具の関係について論じたタルボットは、ケカリトメネ修道院を非常に豪華な用具を使用している修道院の例として取り上げています*3。

 以上のケカリトメネ修道院の財産目録は聖具管理係の持っていた目録そのものではないことに注意する必要がありますが、実際にこれらの財産の多くは聖具管理係の管理下にあったものと思われます。このように聖具管理係は、修道院にとって精神的にも経済的にも貴重な資産を管理していました。

 一方、実際に典礼の際に器具が取り出されて使用される際は、聖堂長(ekklēsiarchissa)が聖具管理係からそれらを受け取ってその後の手配を行うと定められています。聖堂長は続く第20条に規定がある役職で、修道院の聖堂内の照明や装飾を行い、典礼が行われる状況を正しく整える役割を与えられています。典礼での使用が済んだ器具は、再び聖具管理係の管理下に戻ることになっていました。すなわち大まかには、器具の保管については聖具管理係、使用については聖堂長が責任を持つという役割分担がなされていたようです。

 このような、目録に基づく管理や複数人による管理といったあり方の背景には、単なる便宜の問題だけではなく、単独の役職者に財産を管理させることが横領や窃盗などの不正を誘発しうるという懸念もあったと考えられます。実際、第19条の条文では、聖具管理係が役職を解かれる際には目録に基づいて修道院長に物品を返却するようにという指示の後に、職務に対する配慮や誠実さを欠く者は罷免されうること、横領は生神女マリア自身に対する罪であることが述べられています。

 複数人による財産管理が行われている様子は、通常使用されない典礼用具が修道院長によって施錠・封印された状態で保管されることになっている点にも見て取れます。さらにこの様子を顕著に示す例として、財物を入れた一つの箱や部屋に対して複数人が施錠や封印を行う慣行があります。例えば、ケカリトメネ修道院規約の第24条(出納係=金銭の出納を行う役職者について定めた条文)では、修道院の資金の蓄えられている箱に対し、修道院長、財産管理人、聖具管理係、2人の出納係の計5名が封印をすることが定められています。

 封印は、箱の接合部などに付着させた蝋などに印章を押すことなどによって施されるもので、鍵とは異なり第三者が箱を開けることを物理的に阻止する力はありません。しかし、箱を開ける際には封印が破れることになるため、印章を持っていない(=再度同じ封印を施すことができない)人物が勝手に箱を開けた場合には、そのことが関係者に発覚することになります。先の資金の箱についても、箱を開けて元通りに封印を施す場合は5名全員の立ち会いないし同意が必要ということになるため、例えば単独の担当者が職務の中で他の人物に気づかれずに継続的に横領を行い続ける、といったことは抑止される仕組みになっていたといえます。貴重品の管理において役職者同士の相互監視を機能させることができるシステムであったといえるでしょう。

 もちろん、規約はあくまであるべき姿を示したものにすぎないため、実際の運用がどこまで厳密であったかは別問題ですが、少なくとも理念の上では財産管理にあたって不正が起きる懸念が社会的にある程度共有されており、不正を起こさない管理体制や役割分担が必要であると思われていたことがわかります。

 資金の箱の事例で見たように、聖具管理係は第19条以外の条文にも登場しており、聖具以外の財産の管理にも関わるよう定められていました。他にも、第10条では災害や戦乱などによる経済的な危機でやむを得ない場合に修道院の財産(動産)を売却することが許されていますが、その決定に際して修道院長と協議を行う役職者の中にも聖具管理係は含まれています。聖具管理係は修道院全体の財産に関する意思決定にも携わる重要な役職でした。

蜜蝋の扱い

 ケカリトメネ修道院規約では、修道院に持ち込まれる蜜蝋について、聖具管理係が受領して会計を行ったうえで他の修道女たちとともに蝋燭を作り、規定量を超えた分については売却してその他の費用に充てることが定められていました。それでは、この蜜蝋はどこから来てどのように扱われ、どこへ売却されていったのでしょうか。

 まず蜜蝋の出所は、ケカリトメネ修道院の所領であると考えられます。規定量を超えた蜜蝋を売却するという記述からは、修道院が蜜蝋を必要に応じて購入していたのではなく、定期的に蜜蝋を得られることが予め決まっている収入源を持っていたことが読み取れます。所領の細目については残存していませんが、おそらくエーゲ海沿岸などに養蜂が営まれている所領があったのではないかと考えられます。実際、規約の第14条の財産管理人に関する規定では、彼の役割として、「輸送用の船舶が時期通りに送り出されることにより、作物その他の物品が適切な時に送り出される*4」ようにすることが挙げられています。蜜蝋もまた、こうした産物の一つであったと思われます。

 古代以来、ギリシアやアナトリアといった東地中海の温暖な地域では、養蜂が盛んに行われていました。養蜂によって生み出される蜂蜜は、特に砂糖の普及以前は最も重要な甘味料であり、蜜蝋は蝋燭の原料として用いられていました。ビザンツ期においても養蜂は引き続き行われていました。10世紀のコンスタンティノス7世のもとで編纂され、その後多くの写本が作られた農業書『ゲオポニカ』でも、第15巻が養蜂にあてられています。そこでは蜂蜜と蜜蝋の収穫時期として、5月・初秋・10月の3回が挙げられています。ここに記されている収穫方法は蜜蜂を煙で追い出した上で巣箱から巣を取り出す方法であり、このときに巣の一定部分を残すことで蜂が逃げたり餓死したりすることなく持続的な収穫ができるような配慮がされていました*5。

 ビザンツの修道院もまた、様々な形で養蜂に携わっていたことが知られています。例えばいくつかの聖人伝には、自ら養蜂を行う修道士たちの姿が伝えられています*6。また、アトス山のラウラ修道院の文書からは、同修道院に対して税や産物を納める人々(パロイコイ*7)の中に、蜂の巣箱を保有している世帯が多数いたことが伝えられています*8。

 こうして所領からケカリトメネ修道院にもたらされた蜜蝋は、修道女たちによって蝋燭に加工されることになっていました。当時の詳細な加工方法を直接示す情報は得られませんでしたが、参考として、山田養蜂場のテレビ番組で、現代のギリシャの修道院での伝統的な製作風景が紹介されていました。木枠に渡した糸に溶かした蜜蝋を固着させて冷却することを繰り返し、最後に糸の両端を切ることで、多数の蝋燭を一度に制作することができる方法です。12世紀にもこの方法が使われていたと断言はできないものの、一見技術的には当時においても難しくなさそうで、個人的にはこれに近い方法が当時の修道院で実際に行われていたとしてもおかしくないように思います。

 蝋燭の大きさについても複数の種類が作られ、使われていたことが規約の条文からわかります。聖堂内の照明については第59~68条で、それぞれの祭礼の際および通常時のランプや蝋燭の数量と配置が定められています。特に、8月15日の生神女就寝祭の際に使われる蝋燭の中には、一本で6リトラ(約2kg)にも及ぶ大きさのものもありました。

 こうした蝋燭づくりも含め、多くの女子修道院では修道女たち自身が生産活動を修道生活の一環として行うことが推奨されていたようです。ケカリトメネ修道院でも、規約の第27条で2名の作業監督(ergodotria)が置かれることが定められており、修道院内での修道女たちによる労働の存在が前提となっていることが見て取れます。

 ただしタルボットによると、ビザンツの修道女たちは、同時期の男子修道院や、現代のギリシャの女子修道院の事例とは異なり、農作業を行うことはほとんどなかったようです。炊事や洗濯、機織りなどに始まり、小麦を挽いてパンを焼いたり、作った衣服を売ったり、決して最低限の家事労働にとどまらない生産活動や営利活動もみられたものの、修道女たちの作業内容は概ね修道院内で行うことのできるものに限られていました*9。

 当時のこうした差異の背景についてタルボットは、女性にとって修道院の壁の外の畑で働くことは危険である、あるいは女性は農作業などの重労働には向いていない、などといった考え方があったのではないかとしています。そして特に小規模な女子修道院の場合、食料の自給自足ができないという事情が相対的に大きな経済的負担となっていた可能性を同氏は指摘しています。実際に、1305~1306年の飢饉に際してコンスタンティノープル総主教アタナシオス1世が女子修道院向けに小麦の配給を命じている例を同氏は挙げています*10。ケカリトメネ修道院のように多くの税収・地代・産物がもたらされる財政基盤を持ち、皇族や貴族の庇護を受けている修道院は非常に恵まれた例といえます。

 最後に、蝋燭などに使用しない蜜蝋の売却先についても検討しましょう。具体的な売却先は規約からはわかりませんが、やや時代を遡った10世紀初頭の『総督の書』がこれを想像する手がかりとなるかもしれません。この『総督の書』は、レオン6世治世下で編纂された、コンスタンティノープルで営業する商工業者に対する規定集で、中には蝋燭職人に対する規定も含まれています。そこでは、彼らの購入してよい蜜蝋の由来として、外国と並んで教会が挙げられています*11。

 ケカリトメネ修道院の所領で季節ごとに収穫された蜜蝋もまた、船に積まれてコンスタンティノープルへと運ばれた後、修道女たちによって蝋燭に加工されなかった分は市場でこうした蝋燭職人の手にわたり、彼らを通じて都の人々に灯りをもたらしていたのかもしれません。

文書の管理

 ケカリトメネ修道院の聖具管理係の役割としてもう一つ規定されているのが、文書の管理です。こうした文書は、修道院が有する土地や財産などの権利の根拠となるものであり、紛争が生じた際には裁判等の場で提示されました。文書が保管される場所は明記されていませんが、規約の第77条でこの規約自体の写本が聖具庫に保管されることが定められているため、ここで言われている文書も同じく聖具庫に保管されていたのかもしれません。

 ケカリトメネ修道院の文書をめぐる聖具管理係の役割として特に興味深いのは、文書の出納を正しく行って紛失させないことのほかに、文書の虫食いが起きないようにすることがわざわざ挙げられていることです。同規約内には具体的な防虫の方策までは書かれていませんが、ほぼ同時代のアッタレイアテスの修道院の規約(本記事末尾に関連箇所を訳出)には「文書は年に三回〔巻いてある状態から〕広げられ、振られたうえで、再び安置されなければならない*12」という記述を見ることができます。これは害虫やその卵を払い落とすための処置であると考えられます。

 他に聖具管理係が物品を管理するための方策について、パライオロゴス朝期の事例をタルボットが紹介しています*13。例えば、リプス修道院(現フェナリ・イサ・ジャーミー)の規約は、典礼に用いる備品を「太陽で温め、空気に曝す*14」、すなわち虫干しするよう定めています。また、この時代の写本の中には、書物を扱う際に油や蝋で汚れることがないよう手をきれいにしてから扱うよう求める注記がされているものもあるということです。このように備品や文書の劣化を防ぐ方法が明確に述べられている史料は決して多くはないようですが、当時においても当然ながら、こうした物品を長期にわたって保管するには管理者や扱う人々による相応の意識と処置が必要であると考えられていたことがわかります。

 さて、ビザンツの修道院の組織は修道院ごとにかなり差異がありましたが、聖具管理係の役割としての文書管理のあり方にもまた、様々な違いが見られます。ビザンツ中期から後期の修道院における文書の保存と利用のあり方について整理したアダシンスカヤは、14世紀のテッサロニキの修道院の聖具管理係がさらに文書の起草も行っている例を紹介しています。また、文書管理を聖具管理係ではなく財産管理人(oikonomos)などその他の役職者が担当している場合もありました*15。

 こうした違いは、文書というものが様々な側面を持っていることに由来しているのではないかと思います。例えばケカリトメネ修道院を例に考えると、財産管理人は主に修道院の建物や不動産の管理、そしていわゆる所領経営のようなことを行う(第14条)一方で、修道院内の動産や金銭の管理が聖具管理係や出納係らによって分担されることになっていたようにも見受けられます。こうした中で、文書を所領管理に不可欠な資源と見れば、所領管理の担当者である財産管理人が文書管理も管轄したとしても不自然ではなく、また文書をそれ自体修道院内で管理されるべき財産と見れば、典礼用具や資金など、その他の貴重な動産の管理者である聖具管理係らが文書を管理することも当然のように思えます。

 担当者だけでなく文書の保管場所も修道院によってまちまちで、聖具庫に保管されることもあれば、書庫(bibliotheke)に保管されることもありました。*16。修道院が持っている書物の中には、典礼の際に読み上げたり歌ったりするために日常的に用いる、詩篇などを記した写本も含まれていました。こうした典礼書の存在を考えれば、やはり類似の管理方法が求められる文書管理が聖具管理係の仕事であることも自然に感じられます。

 すなわち文書とは書物、動産、不動産など、修道院の様々な財産を管理する文脈の中で扱われうるものであり、各修道院の事情に応じて文書管理のあり方にも広がりがあったのだと考えられるかもしれません。

訳文を読む上での注意点

 底本として、ゴティエによる校訂を使用し、適宜英訳を参照しています。

 また、訳文の段落分けは訳者によるもので、訳文の作成にあたって訳者が補った単語は〔〕で表示しています。構文・語義の解釈に特に不安のある部分は青字で示し、原語を付記しています。

『ケカリトメネ修道院規約』第19条 試訳(底本pp. 64-67、英訳pp. 680-681)

「聖具管理係について」

 聖具管理係が当修道院にいることもまた、私〔=皇后エイレーネー・ドゥーカイナ〕の望むところである。彼女は聖なる器や道具を守るとともに、彼女に対して明記され信頼できる引渡目録を通じて引き渡されるそれらを、あらゆる配慮に値するものとして扱わなければならない。

 同様に、当修道院において彼女は修道院長のもとで持ち込まれる蜜蝋を受領し、仔細にその収支を記帳し、会計する。彼女は修道院内で修道女たちを用いて、聖堂のあらゆる照明のために年中支出されるよう定められた蝋燭を、私によって定められた重さに従って製作しなければならず、また聖堂長(ekklēsiarchissa)に渡さなければならない。聖堂長は照明を後述〔=第20条〕の通り行う。

 また彼女〔=聖具管理係〕は、日常の必要品と祝祭における必要品を教会の勤めのために聖堂長に渡し、時期が来ればまたそれらを彼女から受け取って保護せねばならない。これに対し、必要分以上のものに関しては、修道院長によって聖具庫で施錠され封印された状態にせねばならない*17。いつであれこの役職から外される際には、彼女は信託されたものをすべて返還しなければならず、それは彼女に対して〔任命時に〕作られた引渡目録に基づいて行われなければならない。

 というのも、修道院長は役職者たちを後述の方法で罷免したり変更したりすることを権限として有するからである。すなわち、各々の役職に選任された者たちで、注意深く敬虔な態度でそれらの役職に当たる者たちは罷免されないようにするのが正当であるが、他方でそれらをなおざりにし、蔑ろにする者たちや、また同じくそれらにおいて不誠実に振る舞う者たちは、罷免して他の者を代わりとすることが正当なためである。もし役職者のうちに些細な物であれ横領に及ぶ者がいた場合は、その者は、自身が鍵を受け取ったところの汚れなく恩寵に満たされし生神女に対しての罪人となる*18。

 彼女は聖具管理係だけでなく、文書管理係(chartophylakissa)にもなり、修道院のあらゆる文書による権利保証を目録とともに受け取り、それらを管理し、あらゆる配慮に値するものとして扱い、決して虫食いが起きることを許さない。何らかの書類が必要になった場合は、修道院長の決定に基づいて彼女は求められた文書を持ち出して手渡し、文書がいかなるもので、これを受領した者が誰であるのかを記帳する。その後数日が経過した際には、彼女は修道院長に知らせ、先述の通りにして取り出された文書を呼び戻すことで、それが失われないようにする。

 さて、修道院における収入となる蜜蝋の量は支出よりも大いに余分であるため、私はそのうち5ケンテナリオン〔=約160kg〕だけが聖堂等による支出の会計に留め置かれることと定め、残りについては納入されると同時に売却して修道院のその他の支出にあてることと定める。

参考:ミカエル・アッタレイアテス『定書』、文書保管に関する記述

(Gautier, P. (ed.), "La Diataxis de Michel Attaliate," Revue des études byzantines 39, 1981, pp. 76-79; 英訳pp. 352-353.)

 当修道院および私の救貧院に属する不動産の権利文書は、金印勅書の原本とともに、当修道院の聖具庫あるいはその他の安全な建物の中に置かれた箱(armaria、複数形)の中で保管されるものとする。そして、箱のそれぞれには二つの鍵が設けられ、一つは私の相続人が*19、そしてもう一つは財産管理人――不在の場合は修道院長――が所持する。さらに封印が私の相続人と修道士たちによって施され、権利文書が必要になった場合は全員が〔箱を〕開けてその文書が取り出され、その他の文書については再び同じ安全が生じる〔=鍵と封印によって保護される〕。そして、案件が終わればその文書は再び元の場所へと保管される。文書は年に三回〔巻いてある状態から〕広げられ、振られたうえで、再び安置される。全ての文書を目録(kondakion)に記載することにより、それぞれの財産に対して何通のどのような文書があるのかを一覧して把握できるようにする。

 というのも私は、神の望みのままに、取得した財産は全て合法かつこのうえなく確実な行為と権利文書、そして善意とともに取得したのであり、証人たる神にかけて、決して国家の財産を不当に扱ったり、法に違反したりしたわけではないのである。そしてこの清浄なる家々の継承者たちは、私の財産に関するあらゆる問題について調査すれば、万事において、求められている事柄について最も確実な力添えにふさわしい権利文書を見つけるであろう。

後記

 前回の更新から2年ぶりとなりました。2月にタブレットを買って通勤中に文献を格段に読みやすくなったことが半年ぐらいかけて効いてきたと思います。加えて7月にも様々な巡り合わせでイベントに出たり、旅行に行ったり、普段の自分からすると信じられないほどアクティブな日々を無事に過ごしたことを思い出すと、実は自分の能力や体力の問題だと思っていることのうち、馬鹿にならない割合を周囲の人や環境が作っているのだと改めて感じています。今回の条文もギリシア語を友人に一緒に読んでもらいましたが、一人では見落としていた間違いに気づけたのはもちろんのこと、そもそもきちんと翻訳に取り組んで公開まで漕ぎ着けるきっかけになり、本当にありがたく思っています。

 次回は修道院の財産管理関連、もしくは修道女の清貧についての規定を読みたいと思っています。目標は年内のつもりでいます。無理をせずコンスタントに記事を生産するプロセスを確立したいのですが、果たしてどうなるでしょうか。今後ともよろしくお願いいたします。

参考文献

Beckh, H. (ed.), Geoponica sive Cassiani Bassi scholastici De re rustica eclogae, Leipzig, 1895.

Delehaye, H. (ed.), Deux typica byzantins de l'époque des Paléologues, Brussels, 1921.

Gautier, P. (ed.), "La Diataxis de Michel Attaliate," Revue des études byzantines 39, 1981, pp. 5-143.

Gautier, P. (ed.), "Le typikon de la Théotokos Kécharitôménè," Revue des études byzantines 43, 1985, pp. 5-165.

Jordan, R., "Kecharitomene: Typikon of Empress Irene Doukaina Komnene for the Convent of the Mother of God Kecharitomene in Constantinople" in J. Thomas, A. C. Hero (eds.), Byzantine Monastic Foundation Documents: A Complete Translation of the Surviving Founders' Typika and Testaments, Washington, D. C., 2000, pp. 649-724.

Nicole, J. (ed.), Le Livre du Préfet ou l'Edit de l'Empereur Léon le Sage sur les Corporations de Constantinople, Geneva, 1893.(『総督の書』の古い校訂。J. Koder (ed.), Das Eparchenbuch Leons des Weisen, Vienna, 1991が本来最新だが参照できず。)

 

Adashinskaya, A., "Archives and Readers: Preservation and Circulation of Documents in Byzantine Monastic Archives," New Europe College Black Sea Link Program Yearbook 2014-2015, pp. 21-60.

Germanidou, S., "Honey Culture in Byzantium: An Outline of Textual, Iconographic and Archaeological Evidence," in F. Hatjina, G. Mavrofridis and R. Jones (eds.), Beekeeping in the Mediterranean: From Antiquity to the Present, Nea Moudania, 2018.

Laiou, A. (ed.), The Economic History of Byzantium: From the Seventh through the Fifteenth Century, Washington, D. C., 2002.

Talbot, A.-M., "Byzantine Monasticism and the Liturgical Arts," in O. Z. Pevny (ed.), Perceptions of Byzantium and its neighbors: 843-1261, New York, 2000.

Talbot, A.-M., Varieties of Monastic Experience in Byzantium, 800-1453, Notre Dame, 2019.

Vikan, G. and J. Nesbitt, Security in Byzantium: Locking, Sealing and Weighing, Washington, D. C., 1980.

注釈

*1:修道院規約の現存写本(Par. Gr. 384)とは別の、現在エルサレム総主教庁所蔵となっている写本。ゴティエの校訂ではこの写本は"Sainte-Croix 57"と呼称されている。

*2:底本16, 17, 152-155頁、英訳714-717頁。

*3:Talbot, A.-M., "Byzantine Monasticism and the Liturgical Arts," in O. Z. Pevny (ed.), Perceptions of Byzantium and its neighbors: 843-1261, New York, 2000, pp.27-28.

*4:τὰ μὲν γενήματα καὶ λοιπὰ εἴδη κατὰ τὸν ἐπιτήδειον καιρὸν ἀποστελλεσθαι, τῶν διακομίζειν ταῦτα ὀφειλόντων πλοίων ἐγκαίρως ἀποστελλομένων, 底本57頁。

*5:H. Beckh, (ed.), Geoponica sive Cassiani Bassi scholastici De re rustica eclogae, Leipzig, 1895, p. 446.

*6:I. Anagnostakis, "Wild and domestic honey in middle Byzantine hagiography: Some issues relating to its production, collection and consumption," in F. Hatjina, G. Mavrofridis and R. Jones (eds.), Beekeeping in the Mediterranean: From Antiquity to the Present, Nea Moudania, 2018.

*7:この言葉が指していた人々の地位については時期や文脈により差異がある。中には例えば自分の土地を所有しているが単に税の納付先が国家以外の修道院や貴族などであるような人もいるため、少なくとも例えば「パロイコイ=小作人」といった単純なイメージだけでは割り切れない。J. Lefort, "The Rural Economy, Seventh-Twelfth Centiruies," in A. Laiou (ed.), The Economic History of Byzantium, Washington, D. C., 2002, pp. 236-240.

*8:ibid., p. 246.

*9:A.-M. Talbot, Varieties of Monastic Experience in Byzantium, 800-1453, Notre Dame, 2019, pp.86-89.

*10:ibid.

*11:「蝋燭職人は、外国から来た蜜蝋のみならず、教会から来た蜜蝋を制限なく購入するものとする。また、油に関しても事業に十分な分〔購入する〕。(Ὁ κηρουλάριος τὸν ἔξωθεν ἐρχόμενον κηρὸν ἀκωλύτως ἐξωνείσθω, ἀλλὰ καὶ τὸν ἀπὸ ἐκκλησιῶν καὶ ἔλαιον ὅσον ἂν αὐτοῖς πρὸς ἐργασίαν τῆς τέχνης ἀρκῇ.)」J. Nicole (ed.), Le Livre du Préfet ou l'Edit de l'Empereur Léon le Sage sur les Corporations de Constantinople, Geneva, 1893, p.44, 11.3.)

*12:"Ἵνα δὲ ἀποτυλίγωνται κατ' ἐνιαυτὸν ἐκ τρίτου τὰ χαρτία καὶ τινάσωνται, καὶ πάλιν ὦσιν ὑπο τὴν αυτὴν ἀσφάλειαν." P. Gautier, (ed.), "La Diataxis de Michel Attaliate," Revue des études byzantines 39, 1981, pp. 77.

*13:A.-M. Talbot, "Byzantine Monasticism and the Liturgical Arts," in O. Z. Pevny (ed.), Perceptions of Byzantium and its neighbors: 843-1261, New York, 2000, p.34.

*14:εἱληθερεῖσθαι ... καὶ εἰς ἀέρας μετεωρίζεσθαι, H. Delehaye (ed.), Deux typica byzantins de l'époque des Paléologues, Brussels, 1921, p. 118.

*15:A. Adashinskaya, "Archives and Readers: Preservation and Circulation of Documents in Byzantine Monastic Archives," New Europe College Black Sea Link Program Yearbook 2014-2015, pp. 26-28.

*16:ibid., pp. 24-26.

*17:ビザンツ期には技術的に錠前の信頼性がいまだ低かったこともあり、錠と封印はしばしば併用された(G. Vikan and J. Nesbitt, Security in Byzantium: Locking, Sealing and Weighing, Washington, D. C., 1980, pp.4-5)。

*18:直前の第18条に定められた役職者の任命の儀式では、生神女マリアが自ら役職者を任命するということが象徴されている。新任の役職者はイコンの前に置かれた鍵を手に取り、修道院長は役職者に対し「生神女があなたをこの役職に指名する」という言葉をかけることになっていた。個人的には、この任命の儀礼とある意味で対を成す役職者の罷免の話が、同じ第18条ではなく、聖具管理係という個別の役職について定められた第19条に入ってから思い出したように出てくるのが興味深い。

*19:ビザンツでは有力者が自ら創設した修道院の運営や財産に関わる権利と義務を子孫に継承させることが広く行われていた。アッタレイアテスの修道院もその一例である。また、ケカリトメネ修道院における創設者エイレーネー・ドゥーカイナと長女アンナ・コムネナもまさに同様の事例である。

お知らせ:「『アンナ・コムネナ』のウラガワ!」開催

ブログではご無沙汰しております。このたび、以前からお手伝いしている『アンナ・コムネナ』の制作背景について、「『アンナ・コムネナ』のウラガワ!」というイベントで作者の佐藤二葉さん、そして星海社の担当編集の岩間梓さんと一緒にお話しさせていただくことになりました。思いがけず貴重な機会をいただくこととなり、今から大変楽しみにしています。告知ページ、ならびに開催要領は以下のとおりです。

 

historiansworkshop.org

7/6(土)15:00~17:00
東京大学本郷キャンパスにて対面開催
参加無料(要登録、定員60名。6/7~受付開始)
後日YouTubeにアーカイブ公開予定

 

あらかじめ少し付け加えると、私のこの作品に対するお手伝いの仕方は、例えば「時代考証の先生」や「監修の先生」といった言葉でイメージされるものとは少し異なり、あくまで原稿の校正や校閲に近いものだと自分では理解しています。

当然ながら世の中では前者の姿が目に触れることが多く、どちらかといえば前者の話を求めている方も多いのではないかと思います(おそらく私もその一人です)。ですがそれだけに、今回の場が、歴史研究の成果が歴史を題材とするフィクションに反映される過程について、何かユニークな一面が垣間見える機会になると嬉しいと思っています。佐藤さん、岩間さんをはじめ、関係者の皆様や参加者の皆様と楽しく有意義な時間が過ごせればと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

事前質問も上記告知ページのリンク先のフォームで送信できますので、もし気になる点があればお寄せいただけますと幸いです。すべて回答できるとは限りませんが、是非お話しする内容の参考にさせていただきたいと思います。多くの方からご関心をお寄せいただけることを祈っています。

なお、この企画は歴史学の若手研究者支援やアウトリーチ活動を行っている「歴史家ワークショップ」の企画の一環です。個人的にも在学中にお世話になったことがありますが、様々な挑戦的で魅力的な企画を行っておられる組織なので、是非他の活動もチェックしていただきたいと思います。

historiansworkshop.org

さて、このブログについても、それこそ『アンナ・コムネナ』の新刊のお知らせも含めて長らく更新できずにきてしまいました。とはいえ私としては決して放棄したわけではなく、書きかけてお蔵入りになった記事や、読みかけてギリシア語がわからず頓挫した史料などもあったりします。

そして今度こそ、ケカリトメネ修道院規約の第19条の聖具管理係についての規約を既にローカルでは訳してあり、現在解説を準備しているところです。聖具管理係は修道女の一人が就任する役職ですが、単に典礼の際の備品を保管して出し入れするだけではなく、蜜蝋から蝋燭を作ったり、重要文書を虫食いから守ったり、中々忙しそうな役職です。関連事項も多く調べがいもあるので、この条文に関しては何としても記事を出したいと思っています。私も私で忙しくて中々手が回らないのですが、気長に見守っていただければ幸いです。

お知らせ:佐藤二葉『アンナ・コムネナ』第3巻刊行

 本日、佐藤二葉さんの『アンナ・コムネナ』第3巻が発売されました。3巻ではいよいよアンナとヨハネスが本格的にいわば大人の領域に足を踏み入れていくことになりますが、そうした社会の仕組みを見定めてこれと向き合う姉と弟それぞれの覚悟と自信が本当に清々しく、早くもこの先を心待ちにしています。やはり巻を重ねると自然と作品世界が豊かになってきて、よく言われるようにキャラクターが自分で動くというのでしょうか、これまでの展開を存分に活かしつつ歴史学の知見をさらに自由に組み合わせた新鮮で爽やかな物語が繰り広げられています。

sai-zen-sen.jp

 今回の個人的な一押しのキャラクターはやはり従弟のアレクシオスでしょうか。彼にはどうかのびのびと幸せに暮らせる道があってほしいと願っています。ヨハネスの経験と成長を見ていても感じましたが、社会規範や性役割に対して自分が「向いている」かどうかを自問するようなタイミングは自分自身にも振り返れば色々とあったわけで、彼らの姿には読者としてどこか身につまされる部分もありました。

 後半のアンナの体験にも心を打たれました。地中海を越えた人や知識の移動がより活発になった11世紀から12世紀にかけての時期は、ノルマン人や十字軍の到来のように、ビザンツ帝国にとっては必ずしも好ましくない新たな変化が起こった時代でもあったのではないかと思います。しかしそこに暮らす個々人に思いを馳せてみれば、それはかつては想像もできなかった世界が目の前に開ける時代でもあったかもしれず、そうした時代の息吹が境界や立場を越えてビザンツ皇女のアンナという人に強さと決意を与える展開は痛快で目が覚めるようでした。

 3巻の刊行に際しても微力ながら校正のお手伝いをさせていただきました。私は専門家ではないので、「とにかく他人の目が入ることに意味がある」と自分に言い聞かせながら毎回重箱の隅をつつくようなやり取りばかりしてしまうのですが、そのたびに、細かい台詞の背景にある当時の事実関係や社会の仕組みに関する史料や研究に佐藤さんが非常に注意を払いながら物語の世界を組み立てておられることを実感します。ぜひとも多くの人に『アンナ・コムネナ』はもちろんのこと、巻末の参考文献を手に取って、この作品を何重にも楽しんでほしいと思っています。

 末筆ながら、今回も貴重で刺激的な機会を下さった佐藤二葉さん、素敵に仕上がった御本をご恵贈下さった星海社様にお礼申し上げます。

『ケカリトメネ修道院規約』第18条 試訳(役職者の任命)

 気がつけば季節限定でやっているのかというぐらいの更新頻度になっていますが、続きを読みます。告知以外を完全に放置していたわけではなく、何度か単発の記事を書こうとはしていたのですが、必要な時間まで気力が続かずあまりうまくいきませんでした。働きながら続けることを目標としている一方で、あくまで趣味でやっていることである以上、書くことに好奇心を奉仕させるのではなく、好きに色々調べ物をして気が向いたら書くということを繰り返していくのが王道なのかもしれない、と思い直しています。

目次

既訳条文の一覧はこちら

第18条について 

役職者の任命権

 第18条は、前回取り上げた門番を含めた役職者について、その任命の方法と儀礼の次第を定めるものです。ケカリトメネ修道院では、役職者の選任と任命は修道院長が行うことになっていました。ただし、すべてのビザンツの修道院で修道院長が役職者を任命していたわけではなく、例えば14世紀にミカエル8世の姪のテオドラ・シュナデネが建立したベバイア・エルピス修道院のように、役職者の多くを修道女たちが自ら選出すると定められている修道院もあったようです*1。

 また、こうした任命権者の規定はあくまで「かくあるべし」というルールにすぎないことにも注意する必要があります。現実にその任命権者がルール通り権利を行使することが円満にできていたかどうかを知るためには、規範史料である修道院の規約を見るだけでは本来十分ではなく、聖人伝あるいは典礼に関する規定といった、異なる角度から修道院の運営や生活の実情に言及している史料を参照することが必要です。実際、例えば11世紀に活躍した新神学者シメオンの『講話』では、役職を求める修道士たちが徒党を組んで修道院長に任命を迫る事例が言及されている(詳細は今回調べきれず)ということです*2。ケカリトメネ修道院の規約にも、修道院長や役職者の任命にあたって争いや情実が差し挟まれることがないよう定める規定(第12条)が設けられています。こうした条文の存在もまた、当時の修道院の創設者や指導者が、人事をめぐるトラブルは実際に起こりうる事態であると認識していたということを示しているといえます。

 修道院の中にあった序列や区分は役職だけではありませんでした。そして、それらのあり方もまた各修道院の事情によって異なっていました。ケカリトメネ修道院では、すでに第4条で見たように、創設者エイレーネーの孫娘や貴族出身の修道女は特権的な生活を認められていました。また、例えば数百人規模の修道共同体を有していたストゥディオス修道院について、クラウスミュラーは、役職の有無、聖職者として叙階されているか否か、服装の格式の上下という、合わせて三種類の区分が規約上で入り組んでいたとしています。加えて同修道院では、院長対修道士ではなく、修道士間の奉仕・指導関係も、制度的な裏付けはともかく実態としては行われていました*3。

任命の儀式

 第18条ではまた、役職者の任命の儀式の次第についても述べられています。役職者は聖三祝文が朗唱された後に進み出て*4、まずはおそらく内陣の前の生神女マリアのイコンに対して三度跪きます*5。そして、その前に置かれた自身の役職に関する規約条文の写しを受領します。このとき、門番のように職務に鍵の取り扱いが付随する役職の場合は、任命を受ける修道女はその鍵も同時に受領するものとされています。その後彼女は修道院長に対して平伏して立ち上がり、頭を下げて任命の言葉(「汚れなく恩寵に満たされし〔=ケカリトメネ〕生神女があなたをこの役職に指名する」)を受けることになっていました。

 以上の儀式の中で、修道女が鍵を受け取った後に行う平伏の動作は、ビザンツ初期の修道院では同輩に対する懺悔の意味合いの強いものでしたが、後に転じて広く敬意や服従を示すのに用いられるようになりました*6。平伏はまた、修道院の備品の破損などに対する罰としても用いられることがありました。例えばストゥディオス修道院の罰則集では、陶器の水差しを割ってしまった修道士に対して100回から300回の平伏が課せられており、見方によっては体罰のような様相を呈しています*7。平伏する修道士の姿は図像の中にも残されています。例えば、ストゥディオス修道院で制作され、現在は大英図書館に所蔵されている写本『テオドロス詩篇』の挿絵では、修道士たちが新たに選出された修道院長に対して平伏する姿が描かれています。

 平伏を終えて立ち上がった役職者に対し、修道院長は「生神女があなたをこの役職に任命する」という言葉をかけます。現実には修道院長が決定を行っているにもかかわらず、生神女マリアによる任命という理念が語られる、こうしたある種の二重性は、当の修道院長の選任においてはさらに注目すべきものとなります。というのも、とりわけ修道院長を修道女や修道士たちが自ら選出する修道院の場合、「修道院長の権威の淵源はどこか」という問題は、修道院長とその他のメンバーとの力関係にも関わってくるからです。この点については、クラウスミュラーが先の『テオドロス詩篇』の図像などを用いて論じていますが、詳しくは修道院長の任命について定めた第11条を読む際などに紹介したいと思います。いずれにせよ、役職者に任命される修道女は儀式に際しては生神女マリアと修道院長の双方に服従の意を示し、職務の遂行にあたっては両者に対して誠実であることが求められたといえるでしょう。

訳文を読む上での注意点

 底本として、ゴティエによる校訂を使用し、適宜英訳を参照しています。

 また、訳文の段落分けは訳者によるもので、訳文の作成にあたって訳者が補った単語は〔〕で表示しています。構文・語義の解釈に特に不安のある部分は青字で示し、原語を付記しています。

『ケカリトメネ修道院規約』第18条 試訳(底本62~65頁、英訳680頁)

「役職者たちの任命が、何者によって、いかにして行われるべきかについて」

 当修道院の役職者たちの選定と任命は、修道院長が自身の考えのもとに選定し、任命することによって行う。すなわち、ある者が何らかの役職に任命されることが必要な際は、まず鍵が聖なる内陣の前に置かれるとともに*8、その役職についての文言が私のこの規約から書き写され、それらとともに〔置かれる〕。そして聖三祝文が唱えられると、役職に指名された者が進み出る。彼女は三度跪いて鍵を取った後、修道院長に頭を下げるが、その前に修道院長の足の前に平伏して立ち上がる。修道院長は以下の言葉をかけることによって彼女を任命する。「汚れなく恩寵に満たされし〔=ケカリトメネ〕生神女があなたをこの役職に指名する」。しかし、鍵の伴わない役職については、修道院長によって言い渡される任命の文句と、聖なる内陣の前の場所から前述の各役職に関して書かれた規定を受け取ることで十分である。

 また、〔新任ではない他の〕役職者たちも同じく、彼女ら各人に任せられた役職に関する個別の規定〔の写し〕を聖なる内陣の前の場所から受領する必要がある。これにより彼女らは、〔各人が〕どこから役職を受けているか、およびどのように役職の遂行を約束しているかを〔改めて〕知るのである。

次回予告

 次回は第19条以下のその他の役職者に関する規定、もしくは第14条の財産管理人に関する規定を読みたいと思っています。年明けに記事の原型を書いた頃には、次は修道院長の任命について定めている第11条、もしくは修道院長や役職者の選出にあたっての混乱を戒める第12条を読みたいと思っていたのですが、一年近く寝かせてしまうとやはり関心も変わっているものです。

 関心の変化といえば、当初はアンナ・コムネナの後半生について知りたくてこの修道院規約を読み始めたわけですが、そのことがきっかけで最近はむしろビザンツの社会やコンスタンティノープルの人々の生活に対する興味が大変深まってきています。社会人になってビザンツやギリシア語からだんだんと縁遠くなっていく寂しい予感に抵抗しようと細々と始めた調べ物が昔よりも自分の視野を着実に広げていることを感じるとき、手探りながらこの試みに取り組んでみて良かったという思いを新たにします。

参考文献

Gautier, P. (ed.), "Le typikon de la Théotokos Evergétis," Revue des études byzantines 40, 1982, pp. 5-101.
Gautier, P. (ed.), "Le typikon de la Théotokos Kécharitôménè," Revue des études byzantines 43, 1985, pp. 5-165.
Jordan, R., "Kecharitomene: Typikon of Empress Irene Doukaina Komnene for the Convent of the Mother of God Kecharitomene in Constantinople" in J. Thomas, A. C. Hero (eds.), Byzantine Monastic Foundation Documents: A Complete Translation of the Surviving Founders' Typika and Testaments, Washington, D. C., 2000, pp. 649-724.
Migne, J.-P. (ed.), Patrologia Graeca, vol. 99, Paris, 1860.

 

Krausmüller, D., "Abbots and Monks in Eleventh-Century Stoudios: An Analysis of Rituals of Installation and Their Depictions in Illuminated Manuscripts," Revue des études byzantines 64-65, 2006-2007, pp. 255-282.
Krausmüller, D., "Multiple Hierarchies: Servants and Masters, Monastic Officers, Ordained Monks, and Wearers of the Great and the Small Habit at the Stoudios Monastery (10th-11th Centuries)," Byzantinoslavica 74, 2016, pp. 92-114.
Talbot, A.-M., Varieties of Monastic Experience in Byzantium, 800-1453, Notre Dame, 2019.

 

 

注釈

*1:英訳、xxxi-xxxii頁。ジャイルズ・コンスタブルによる解説。

*2:D. Krausmüller, "Multiple Hierarchies: Servants and Masters, Monastic Officers, Ordained Monks, and Wearers of the Great and the Small Habit at the Stoudios Monastery (10th-11th Centuries)," Byzantinoslavica 74, 2016, p. 99.

*3:D. Krausmüller, "Multiple Hierarchies".

*4:聖三祝文は「聖なる神よ、聖なる強者よ、聖なる不死者よ、我らを憐れみたまえ」という内容の祈りの言葉。「聖なる強者」と「聖なる不死者」はそれぞれキリストと聖霊(聖神)を指す。文言や解釈のあり方は古代末期に議論の対象となっていたが、ここで扱っているコムネノス朝時代には既に以上の意味で理解されるようになっていた(R. F. Taft, "trisagion" in Oxford Dictionary of Byzantium.)。

*5:ここで最初に修道女が跪く対象がマリアのイコンであるということは第18条の中には明記されていないが、修道院長による任命の言葉にマリアが出てきていること、またエウエルゲティス修道院規約の役職者の任命に関する規定(第29条)に「鍵がキリストあるいはマリアのイコンの前に置かれ、任命される者は三度跪いてこれを受け取る」と書かれていることからそのように考えた。11世紀半ばに建立されたエウエルゲティス修道院の規約は、ケカリトメネ修道院も含めた後の多くの修道院の規約と一致する内容や文言を含んでおり、前者が後世に広範な影響を及ぼしたことが指摘されている。先に引いたエウエルゲティス規約第29条は、今回のケカリトメネ規約第18条と一致する文言を含んでいる。

*6:D. Krausmüller, "Abbots and Monks in Eleventh-Century Stoudios: An Analysis of Rituals of Installation and Their Depictions in Illuminated Manuscripts," Revue des études byzantines 64-65, 2006-2007, pp. 259-262.

*7:Migne, Patrologia Graeca, vol. 99, coll. 1737-1738; A.-M. Talbot, Varieties of Monastic Experience in Byzantium, 800-1453, pp. 22-24.

*8:ゴティエによればすなわち身廊と内陣を区切るイコノスタシスの前(底本63頁、注5)。

お知らせ:佐藤二葉『アンナ・コムネナ』第2巻刊行

 新年以来更新が滞っており恐縮です。調べ物は進めていたりするのですが、去年に比べて諸々忙しくなってしまったこともあり、なかなか記事を出すに至っていないのが現状です(下書きにある翻訳とは別に、単発の記事を近いうちに出したいと思っています)。

 

 さて、このたび、佐藤二葉さんの『アンナ・コムネナ』の第2巻が発売を迎えました。第1巻に引き続き、私も校正のお手伝いのようなことをさせていただいていたのですが、第2巻では前巻以上に重厚なストーリーが展開され、個人的には読んでいて倍ぐらいのボリュームに感じました(1巻はそもそもビザンツの人々や世界が漫画になって動いているということがあまりに嬉しく、勢いで一気に読んでしまったということもあると思います)。

 多くの人にとってネタバレにならないと思う範囲で個人的に推したい点を一つ挙げるとすれば、ツイ4の連載でも既に登場している、アンナの家庭教師のテオドロス・アネマスという人物です。彼から学ぶことを糧に、アンナや周囲の人々はいったいどのように変わっていくのか、そのことが今後にどのような影響を及ぼすのか、3巻以降にますます期待せざるを得ません。またそれ以上に、彼の存在を通じて私は、やはりこの作品は『アレクシアス』の著者としてのアンナ・コムネナとの対話の試みでもあるのだという実感を新たにしました。どうしても抽象的な言い方ばかりになってしまいますが、彼もまた、様々な意味でこの作品の醍醐味を感じられるキャラクターの一人だと思います。

 アネマスの良さもさることながら、アンナとニケフォロスをはじめとする登場人物同士の関係も当然深まっていきます。それと同時に、前巻に続き、それぞれの人物はこの帝国と社会の中で自身がどのようにあるべきかという問いに事あるごとに直面しており、そのことが作品を一層面白く、味わい深くしています。これまでの蓄積も丁寧に活かされているため、最初に述べたように分量に勝る読後感が得られるのではないでしょうか。今回も華麗なビザンツの世界を存分に味わうことのできる紙の本での入手が個人的にはお勧めです。

 こうして宣伝ばかりしているのも気が引けるので、今後もどうにか労働と折り合いをつけながら(それこそ『アンナ・コムネナ』がさらに楽しめるような)史料や研究を紹介する記事を用意していきたいと思っています。どうか見守っていただければ幸いです。最後になりましたが、前回に引き続き貴重な機会を下さった佐藤二葉さん、第2巻の見本をご恵贈下さいました星海社様に、この場をお借りしてお礼申し上げます。

(護国寺駅の改札に6/12(日)まで掲示されている気高いポスター。)