文献紹介:L. Neville, Anna Komnene: The Life and Work of a Medieval Historian, 2016.

 明けましておめでとうございます。新年なので新しいことに挑戦してみようということで、今回は史料ではなく、本の紹介を行いたいと思います。

 今回紹介するのは、佐藤二葉『アンナ・コムネナ』や井上浩一『歴史学の慰め』でも参考文献に挙げられている、L. Neville, Anna Komnene: The Life and Work of a Medieval Historian(『アンナ・コムネナ ある中世の歴史家の生涯と作品』)です。著者のレオノーラ・ネヴィル氏は、中期ビザンツの社会と文化を専門とする研究者で、アンナの夫であるニケフォロス・ブリュエンニオスに関する著作もあるほか、博士論文執筆時の指導教員は本邦でも『ビザンツ 驚くべき中世帝国』で知られるジュディス・ヘリン氏であるということです*1

 

(ちなみに、表紙にはなぜか聖ソフィア大聖堂にあるヨハネス2世の皇后エイレーネー(ピロシュカ)の肖像が使われています。アンナを描いたビザンツ期の図像は現代には伝わっていません。)

 

 さて、アンナ・コムネナの事績として最も広く知られているのは「『アレクシアス』を書いたこと」、そしてその次によく知られているのは「弟ヨハネスを排除して皇帝になろうとし、そして失敗したこと」ではないでしょうか。

 本書は、「権力への野心」「帝位への未練」といった、近代の歴史家によって『アレクシアス』をはじめとする史料から読み取られてきたアンナのイメージを見直すとともに、そういった過去のイメージに影響されて定着していた「ヨハネスとの対立」という理解についても根拠が薄弱なものと論じたうえで、12世紀ビザンツ宮廷で活躍した卓越した知識人としてのアンナの像を新たに描き出そうとする試みです。

 

 

 本書は二部構成となっており、第1部では『アレクシアス』、第2部ではアンナをめぐるその他の史料が検討されています。まず第1部で著者が中心的に取り上げるのは、『アレクシアス』に時折アンナが差し挟んでいる自身の身の上や感情についての述懐です。このような記述は、近代の研究者たちにとっては、客観的であるべき歴史記述からの稚拙な脱線、あるいはヨハネス2世との対立を経て自由と権力を奪われたアンナの境遇と遺恨を反映したもの、などといった評価が与えられることが多いものでした。

 しかし、これに対して著者は別の解釈を提示します。すなわち、以上のような記述は、ビザンツ社会においてアンナが歴史書を書くにあたって直面した課題に対処するための叙述戦略によるものであるという考え方です。第1章では議論の前提として、以下にやや詳しく紹介する通り、アンナの課題がどのようなものであったのかがビザンツにおけるジェンダーの観点と歴史記述の観点から整理されます。

 著者によればまず、男性性と権力が強力に結びついていたビザンツ社会では、男性が備えるべき美徳は自身の感情や欲望を制御する能力であり、女性の美徳は男性の権力に従い、これを支えることでした。そのため、女性が公的な活動を行う場合は、自身が女性でありながら男性に求められるのと同じように感情を制御できる美徳を備えた例外的な存在であることを示すか、もしくは逆に自身のか弱さや哀れさを感情的に訴えることで男性の援助や譲歩を引き出すかという、いずれにせよ男性性に権力が宿っていることを前提とした戦略が必要になったのだということを、著者は多様な史料を例に示します。そして、アンナもまた『アレクシアス』の中で伝統的な性役割に沿ったこうした戦略を用いていたということもここで予め確認されます。

 そのうえで、古代ギリシアからビザンツに至るまで、女性が歴史を書き、なおかつ優れた歴史家と見なされることは非常に困難であったと著者は主張します。というのも、伝統的に歴史家の役割は、自身の経験や調査に基づき、後世に伝えるに値する人々の行為を記録することだと考えられていたため、当時は家庭にとどまるべきとされていた女性にとっては、政治や軍事の経験を持つことはもとより、調査のために外出したり男性と交流を持ったりすることも、少なくとも理念上は不適切であったためです。

 他方で、男性も含めた当時の歴史家一般につきまとう問題にも著者は目を向けます。すなわち、古代からの文化的伝統の中では、歴史家が後世知られるに値する事績とそうでない出来事を判断するという行為や、歴史家に限らずある人が著作や弁論の形で自らの言葉を人々に聞かせるという行為は、大変な傲慢さを伴いうる行為であると考えられていました。そのため、歴史家はそのような価値判断を行うために十分な知識や教養に加えて人格が求められると同時に、そうした立場に立つことの傲慢さを中和するための謙遜を著作の各所に差し挟む必要がありました。

 こうした歴史記述に伴う問題は、女性であるアンナにとってはより深刻で複雑なものとなりました。自身の著作を説得力のあるものとするためには、彼女は男性に劣らず政治や軍事を論じる能力を自身が持っていることを示すという、傲慢なうえに当時の女性の領分を逸脱した態度を取らざるをえませんでした。その一方で彼女は、自身の人格が女性として優れた謙虚なものであること、そして自身の振る舞いが女性にふさわしいものであることも同時に明らかにしなければなりませんでした。このように、読者から見て「よき歴史家」であることと「よき女性」であることを両立させるという困難な課題を抱えながら、アンナは『アレクシアス』を執筆することになりました。

 以上の前提のもとに、著者は『アレクシアス』におけるアンナの記述を具体的に分析していきます。第2章では、『アレクシアス』の序文を検討し、そこでアンナが高い教養や能力の顕示を行うと同時に、それに均衡する卑下と女性性の表明を、寡婦としての哀悼を語ることによって行っていたことが示されます。また第3章では、歴史家は公正でなければならないという要請と、娘は父に従うべきであるという規範の間で、アンナがいかに皇帝であり父親であるアレクシオス1世を描写したかということが論じられます。

 第4章では著者は、『アレクシアス』における家族の死や自身の不幸に対する嘆きの表現に注目します。そのうえで、こうした嘆きは古代以来女性が自身のことを語る際に用いられる文学的な類型に則ったものであり、アンナが女性としてあるべき姿に従っていることを読者に示すとともに、かえってそれ以外の箇所では彼女が感情を抑えて理性的に歴史を書くことができていることを印象づけるものであったとしています。

 第5章では、歴史家は信頼できる偏りのない情報源をもとに調査を行うべきであるという課題と、女性は家庭にとどまり政治に関わるべきではないという制約という、これまた二つの矛盾する要求を満たすためにアンナがとった戦略が検討されます。『アレクシアス』に見られる、ビザンツの歴史書としては珍しい原史料の明確な引用や、アンナ自身が哀れな隠遁の身であるという言明もまた、中立性や女性性をアンナが守っていることを示すための方策としてここでは位置づけられます。

 以上で見たように、著者は第1部における『アレクシアス』の分析を通じて、アンナは自身の歴史が信頼のおけるものとして受け入れられるよう努める一方で、歴史を書く、しかも女性が書くということによって生じる傲慢なイメージを打ち消すべく、女性らしく謙虚で哀れな自身の姿を様々な方法で意識的に示しているのだと主張します。なお、一応誤解のないよう申し添えておくと、著者がここで論じているのはあくまで「アンナが『アレクシアス』で自分自身をどのように表現し、どのような印象を当時の読者に与えようとしていたか」ということであり、それは「アンナが実際にどのような性格の人であり、どのような思いを持っていたか」ということとはやや異なる問題です。

 

 

 一方、第2部で著者は、『アレクシアス』以外のアンナに関する史料を、従来の先入観を排して網羅的に再検討することで、弟の地位を狙う野心家ではなく、宮廷社会で活躍する知識人としてのアンナの姿を明らかにします。そして、第1部での分析にもかかわらず、なぜアンナが非常に野心的な人物としてのイメージを与えられてきたのかを近代の歴史家たちの著作を繙いて論じています。

 まず第6章では、アレクシオス1世からヨハネス2世への権力移行に言及したいくつかの史料が検討されます。記事の後半で詳しく見ますが、著者は、アンナをヨハネス2世に対する陰謀の当事者として明確に記述しているのはニケタス・コニアテスの『歴史』だけであることを確認したうえで、コニアテスによるアレクシオス1世の死を取り巻く出来事の記述に関しては、事実を反映したものとは考えられないと論じています。

 第7章では、ビザンツの宮廷社会で節目ごとに行われていた演説の中からアンナへの言及のあるものが検討され、アンナとニケフォロスの夫婦はアレクシオス1世の没後も変わらず宮廷社会で地位を保ち続け、有数の知識人として尊敬されていたことが明らかにされます。また第8章では、アンナが後半生を過ごした屋敷のあるケカリトメネ修道院の規約を主な手がかりに、アンナにとって修道院は近代以降にイメージされるような幽閉先ではないどころか唯一の居所ですらなく、自身が女性として自由に文化活動を行うための拠点であったことが示されます(この章に関しては以前にも紹介しています)。

 第9章ではアンナのヨハネスに対する憎悪や帝位への野心を史料上に見出すことができるかどうかが検証されます。著者は、『アレクシアス』の中でしばしばヨハネスへの悪意ある編集と受け止められている箇所の多くは、アンナがヨハネスを憎んでいたはずだという先入観がなければそのようには解釈できず、その他のヨハネスに対する批判についても、アンナはアンナなりに当時の政策論議の中で意見を持っていたのであって、動機を単なるヨハネスへの憎しみに求める必要はないと論じます。また、他の史料からもアンナとヨハネスの対立や、アンナの帝位への野心は窺うことができないと著者は結論づけます。

 以上の議論を踏まえた上で、第10章で著者はアンナに関する17世紀以降の歴史家による記述を豊富に引用しながら、従来の野心的なアンナのイメージは、シャルル・ルボー(Charles Lebeau)やエドワード・ギボンのような18世紀の歴史家が当時の限られた史料状況・研究状況の中で組み立てたものが、時に増幅されながら現代まで受け継がれてしまっているものであることを示します。

 すなわち、18世紀や19世紀の段階では、アンナの嘆きや卑下が著作内で持っている役割が適切に理解されず、それと対になる教養の顕示や家族への称賛などばかりが注目されたうえ、後者がコニアテスの伝えるヨハネスに対する陰謀の記事ともども額面通りに受け取られていました。そのため、歴史家としての傲慢さを打ち消す謙遜のためのものであったはずの記述に対しても、高慢で野心的なアンナが自身の境遇に向けた怒りが込められているという、全く異なる解釈がされることになりました。その結果、「弟の暗殺を企てた野心家で、陰謀の失敗により修道院に閉じ込められて恨み辛みを歴史書に書き連ねる女性」といったアンナのイメージが定着してしまったというのです。

 このようなイメージが作られ、温存されてきた要因として著者は、20世紀後半までトルニケスによるアンナ・コムネナ追悼演説をはじめとする多くの重要な史料が公刊されていなかったことや、ルボーやギボンの時代の歴史学では、史料の構成や表現方法が持つ意味と文化的背景を軽視して史料に書かれている字句を素朴に事実として受け止める傾向が現代よりも強かったこと、そして近代社会にも女性の政治活動・著作活動に対する偏見が、ビザンツ社会とはまた違った形で存在していたことなどを挙げています。

 こうした時代から、分析手法、学術文化、アンナの著述戦略に対する理解が変化を見た現代において、アンナは「挫折と憎しみを抱えた、血に飢えた陰謀家」ではなく、「当代随一の知識人の一人であり、歴史書の傑作を生み出すことに成功した女性」として立ち現れるのだ、と著者は本書の結びで述べています。



 以上のように、本書はビザンツのとりわけ社会や文学に対する近年の研究をもとに、旧来のアンナと『アレクシアス』のイメージを根本的に見直していく挑戦的な試みです。日本の読者にとっては近年のアンナに関しての文献といえば言うまでもなく井上浩一『歴史学の慰め』が第一に挙がると思うのですが、本書も『歴史学の慰め』も、それぞれ異なる角度からアンナについて論じており、様々な興味深い一致点と相違点があります。特に、後から出版された『歴史学の慰め』には、書名や著者名は挙げられていませんが本書の見解を批判していると思われる箇所も所々にみられるということもあり、二冊を合わせて読んでいただくと考えが深まって非常に面白いのではないかと思います。

 両者に共通する論点で意見の異なる箇所として目を引くのは、やはりアンナとヨハネスの対立に関する点です。例えば、『歴史学の慰め』では、アンナによるヨハネス殺害の陰謀は実際にあったという立場が取られていますが、本書の著者のネヴィル氏は、先に述べたように、アンナがヨハネスを暗殺しようとしたという説に対しては非常に懐疑的です。

 この事件に関する両者の立場の違いは、アレクシオス1世の死から100年近く後に書かれたニケタス・コニアテスの歴史書の記述に対する評価に主に由来しています。この歴史書は、事件を明確に伝える実質的に唯一の史料であり、アンナたちと同時代の史料にはアンナを当事者とする陰謀に関する記述は知られていません。

 ニケタス・コニアテスは、12世紀後半から13世紀初頭にかけて官僚として活躍した文人で、ヨハネス2世の治世から第4回十字軍によるコンスタンティノープル陥落前後の出来事までを扱った『歴史』を著しました。ネヴィル氏は本書の第6章で、1204年に訪れたこの破局を経験したコニアテスは、『歴史』をコムネノス一族の失敗による国家の衰退の物語として緻密に構成しているため、アンナの陰謀もその叙述の中でどのような役割を与えられているのかを検討すべきだとします。

 その上でネヴィル氏は、アンナの陰謀も含めたアレクシオス1世の死に伴う混乱は、著作全体の構成から見て前史の位置づけであるヨハネス2世治世のそのまた導入部にすぎないことを説明します。そのような場でコニアテスは本論並の忠実さで事実を伝えようとしているとは限らず、むしろ一族が互いに争い、家族および性別の役割が倒錯した、自然に反した家族としてのコムネノス家のイメージを、後に彼が書き記す諸問題の根源として意図的に描き出そうとしているのだと同氏は主張します。

 すなわち、実の息子を中傷し、娘婿ニケフォロスを皇帝にせよと死の床のアレクシオスに迫るエイレーネー、父母に敬意を払わず、アレクシオスの葬列に参加しないヨハネス、男性らしからぬ惰弱さから陰謀を失敗に終わらせるニケフォロス、自身と夫の肉体の構造について呪いの言葉を吐くアンナ、というように、当時の人々にとっては家族や性役割にあるまじき出来事が次々と起きるコムネノス家の有様を、コニアテスは著作の冒頭となる箇所で、時に卑猥な含みのある語彙を交えて描写することによって、その後も一族につきまとう悪徳を印象づけようとしているのだということをネヴィル氏は示します。

 ここに現れる不自然かつ不道徳な欲求を持った野心的な女性としてのアンナの姿もまた、この倒錯した家族像を構成する一人として都合よく作り上げられたもので、もしかするとアンナが女性として歴史書を書いたことも、コニアテスがこのようにアンナを描くことに一役買ったかもしれないとネヴィル氏は述べています。第6章の結びで同氏は、アンナの同時代人であるゾナラスの年代記をはじめ、ビザンツの史料が一様に問題視しているのは、むしろヨハネスがアレクシオスの死を待たずに歓呼を受けるために宮殿へ向かったことであるとしています。

 これに対して井上氏は、ヨハネス2世の建立したパントクラトール修道院の規約の中に、ヨハネスが「兄弟の和に背いた者たちを打倒」したという記述があることを指摘し、コニアテスの記述は、他のビザンツの歴史家の場合と同様、人物の発言などの細部に関しては創作や推測の可能性があるものの、事実関係に関しては信頼できると結論づけています*2

 なお、ネヴィル氏の方も、第6章ではヨハネス2世の即位にあたって何があったかということを明らかにすること自体が主目的ではないと断ったうえで、コニアテスの記述に対しては疑いを向けるものの、最終的に陰謀の有無について明確な結論を出すことは避けています。また、第9章の末尾ではヨハネス即位時に「起こったことが何であれ、ヨハネスの治世やアンナとニケフォロスの人生に対して長く残る影響は及ぼさなかっただろう」と同氏は述べています。アンナの宮廷社会との交流や修道院での生活に関する第7章と第8章を読む限り、この点に関してはその通りなのかもしれません。

 陰謀が事実かどうか以上にネヴィル氏が問題視しているのは、やはり第10章でも述べられている通り、近代以降コニアテスの記述が無批判に信頼されたうえでアンナのイメージが形成されてしまっていたことです。特に、このときの出来事を描写するための表現の各所にコニアテスがあえて含ませた卑俗さをルボーをはじめとする歴史家が脱色して伝えてしまったため、コニアテスの記述の性質や信頼性が正確に評価されてこなかったという指摘は重要であると思います。

 以上では本書の第6章でネヴィル氏が論じている陰謀事件の問題を例に上げましたが、第9章でネヴィル氏が述べているような、アンナとヨハネスの対立が史料上にみられないという議論についても、井上氏は様々な観点から反論しています*3。本書と『歴史学の慰め』を合わせて読んでみると、やはり全体的にネヴィル氏の分析はアンナの書き手としての活動に対するものが中心で、このこと自体は当然だと思うのですが、それでもアンナの前半生や皇女としての側面についてもう少し詳しく補足する議論があってもよかったのではないかという印象があります。

 陰謀の話が長くなってしまいましたが、他に読んでいて特に面白かった第7章についても少しだけ述べたいと思います。この章でネヴィル氏は、文人たちが作成した演説の中でアンナに言及しているものを多数分析しています。特に、章の後半で詳しく検討されている、トルニケスによるアンナの追悼演説は、女性であると同時に当代随一の知識人という異色の存在であったアンナを偲ぶにあたって彼が苦心の末に巧みに用いた構成やレトリックから、アンナの直面した性差の問題が浮き彫りになっており、広くビザンツにおけるジェンダーについて考えるうえでも大変重要な史料といえるのではないかと思います。他にも、12世紀末に書かれたアンナの孫のニケフォロス・コムネノスの追悼演説で、アンナがヒュパティアの教養とクレオパトラの高貴さを併せ持つ人物として称賛されているなど、多くの興味深い事例がこの章では紹介されています。

 最後に本書全体についてですが、総じて一般の読者に気を配った平易な表現と非常に丁寧な説明が心がけられている印象でした。丁寧なのは索引についても同様で、重要なキーワードに関しては、ただ単語の登場するページだけではなく、その事項について論じられているトピックごとにページ数の指示がされています。例えば、『アレクシアス』の項目には、「『アレクシアス』におけるアンナとヨハネスの関係」や「『アレクシアス』に関する近代の研究」といったポイントごとのページ数が挙げられている親切な構成になっています。

 著者の主張の中には、私自身そこまで理解や納得が及ばない部分もあり、また私の力量の問題でここでの紹介だけでは突飛に見えてしまうものもあったかもしれませんが、いずれも基本的にはより詳しい議論や根拠となる文献が提示されています。特に後半部分は章ごとに内容が分かれているので、気になる章から読んでみてもよいのではないかと思います(私もきちんと読んだのはケカリトメネ修道院を扱っている第8章からでした)。『アレクシアス』『歴史学の慰め』『アンナ・コムネナ』という近年の立て続けの出版を受け、よりアンナに関する知識や考えを深めたいと思っている人が次に読む本として本書はちょうどよいかもしれません。

 

 

 以上、今回は新しい試みとして研究文献の紹介を行いました。完全に『アンナ・コムネナ』刊行の勢いで着手したもので、今後も別の本の紹介をするかどうかはわかりませんが、今年も史料の翻訳も含めてその時々で自分の一番書きたい・書きやすい記事を定期的に出していければと思っているので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

*1:https://history.wisc.edu/people/neville-leonora/、およびリンク先CV。2022年1月1日閲覧。

*2:歴史学の慰め』112~116頁。

*3:例えば『歴史学の慰め』92~96頁、119頁など。