『ケカリトメネ修道院規約』 第79条 試訳(エイレーネーとその子孫の住居)

 今回も引き続き『ケカリトメネ修道院規約』を読みます。1ヶ月以内の更新を目指すと言いつつ、今回は訳出箇所が長かったことなどもあり、それ以上に間が空いてしまいましたが、基本的には月1回程度の更新を目安に続けていきたいと思います。

目次

第79条について

 前回の第4条は、ケカリトメネ修道院の修道女となった皇族や貴族の女性に対して、住居や食事の面で特別な待遇を定めたものでした。第79条は、エイレーネーによって修道院に建設された、彼女自身やその子孫の暮らす屋敷とその権利についての規定です。前回も触れたように、第4条で述べられている皇族修道女用の住居と、第79条の屋敷との関係が注目されます。

 また、『歴史学の慰め』では、アンナが父アレクシオス1世の眠るフィラントロポス修道院に面した部屋をこの屋敷の中に持っていたことや、屋敷のその部分がアンナの死後取り壊される予定とされていたことが紹介されています*1。それ以外にも、第79条では、アンナの死後の屋敷の権利の相続や、代々の権利者への許可・禁止事項などが規定されています。「修道院規約」という言葉からイメージされる、修道生活について定めた規則というよりは、不動産の権利に関する条文の色彩が濃いものといえます。

訳文を読む上での注意点

 底本として、ゴティエによる校訂を使用し*2、適宜英訳を参照しています*3

 訳文の段落分けは訳者によるものです。特に今回は条文が長いため、便宜上原文にない見出しを付けています。訳文の作成にあたって訳者が補った単語は〔〕で表示しています。構文・語義の解釈に特に不安のある部分は青字で示し、原語を付記しています。特に今回、ローマ~ビザンツの法制度を前提とする記述が登場し、この分野の理解が不十分であるために訳が正確でない可能性がある単語に関しては緑字で示しました。以上を念頭に置いてお読みいただければ幸いです。

『ケカリトメネ修道院規約』第79条 試訳(底本pp. 136-142、英訳pp. 706-709)

「私によって修道院内に新築された豪奢な建物について*4

序文

 恩寵に満たされし〔=ケカリトメネ〕神の母の修道院内に、私によって新たに設けられた豪奢な建物についても、相応の〔扱い〕を決定する必要がある。というのも私は、高貴なる本修道院の周囲に、修道院にとって必要であり、修道女たちの必要をあらゆる点において満たす分の〔建物〕の他に、豪華な建物をも私的な居住のために建設したうえで、我が祝福されし〔=今は亡き〕ポルフュロゲネトスの修道女、エウドキア殿がこれらを有し、これらを私的な居住と休息のために用いることを望んでいた*5。ところが、彼女は私の希望から早くも奪い去られて「永遠の住まい」(ルカ 16: 9*6)へと移ってしまい、これら〔の建物〕についても私が自らの考えを決めることが必要であった。そのため、私はこれを行い、以下のように決定する。

アンナの権利

 すなわち、私の現世における生からの離別の後は、我が最愛のポルフュロゲネトスにしてカイサリッサのアンナ殿が*7、彼女が私の生前においても居住していた部屋のすべてのみならず、ケカリトメネ〔修道院〕内の建物で、私と子供たち、そして我々の手に属する男女の使用下にあったものすべてに加え、豪奢な建物の内側の中庭(αὐλή)に隣接する外側の中庭を(なお、かつては葡萄畑であったが中庭に転換されたもう一方の中庭に関しては、私がいつか発する命令書が指示する*8)、さらに、聖デメトリオス教会と二つの浴場*9、および修道院に引き込まれている湧き水の三分の一を、〔現在〕私によって占有されている(κατέχονται)のと同様に、終生妨げられることなく占有する(κατέχῃ καὶ νέμηται)

 このとき、彼女には以下のことが完全に許されねばならない。すなわち、彼女の望む他の建物を新たに建設すること、皇族のもの(δεσποτικά)であれそうではないものであれ、現存の〔建物を〕彼女の決める通りに改変すること、彼女の欲する外見へと作り変えることである。ただしその際彼女は、以下の点のみは厳守する。すなわち、両修道院、つまりフィラントロポスとケカリトメネの境界壁に新たに何らかの負荷をかけず*10、両院を覗き見ることもしないという点である。

アンナ没後の扱い

 彼女の逝去後は、上記の不動産全てとその他の権利の使用(χρῆσις)占有(κατοχή καὶ νομή)を、区別も例外もなく、我が最愛の孫娘で、アンナ殿の娘のエイレーネー・ドゥーカイナ殿が有する。ただし、ポルフュロゲネトスのアンナ殿の現世における生からの離別の後は、境界壁の外にせり出して(ἄπῃωρημένοι)、フィラントロポス修道院の庭の方を向いており、こんにち前述のポルフュロゲネトスが住んでいる建物に限っては破却されねばならず、その〔境界〕壁はさらに2ペキュス〔=約1m25cm*11〕高められなければならない*12

権利相続の原則

 他方、エイレーネー殿の死後に、もしその母であるポルフュロゲネトス〔=アンナ〕が遺言とともに死去した場合は、皇族の建物およびその他の建物は、彼女の子、孫、あるいは曾孫のうち、男性であれ女性であれ、彼女の選ぶ者へと相続される。

 また、エイレーネー殿よりも先にその母〔=アンナ〕が現世における生を終えた場合、あるいは、それ〔=アンナの死〕が彼女より後であっても、〔アンナが〕この件について遺言を残さなかった場合(〔いずれの場合も結果に〕違いはない)、上記の建物その他の占有(κατοχὴ καὶ νομή)の権利は、以下の規定(διάστιξις)に従って、ポルフュロゲネトスのアンナ殿の子、孫、あるいは曾孫のうち、最年長の男子または女子に移転する。

 すなわち、この権利の伴っている人物が遺言とともにその生から離別する場合は、自身の子や孫以下直系の者たちのうち、自身の望む者へとこれらを相続させることが許される。一方、その者に自身の子孫がいない場合や、〔その者が〕この点について遺言を残さなかった場合、先述の権利は再びポルフュロゲネトスのアンナ殿の子孫のうち、最年長の者へと移動する*13。そして、この規定(διάστιξις)は、先に示したポルフュロゲネトスの血統の継続が保たれている限り存続する。

 また、ポルフュロゲネトス〔=アンナ〕は、遺言によって、上述の通り本人の子、孫、あるいは曾孫にこの権利を相続させるだけでなく、彼らのうち何者かを通じた嫁のうち、彼女の望む者にも〔権利を相続させる〕。その者もまた、二度目の婚姻を目論まない限り、同様にこれらの住居を占有する(καθέξει)。というのも、その者がこれ〔=二度目の婚姻〕へと逸脱した場合は、〔その者はこの権利から〕直ちに外れ、権利はポルフュロゲネトスの血統へと受け継がれるのである。

 このことは、この権利を取得した者から上記のように〔=遺言を通じて〕相続することによってこの権利が帰属することになった他のあらゆる嫁にも例外なく生じねばならない。というのも、ポルフュロゲネトスだけではなく、彼女の子孫も、本人が望めば遺言によってこの権利を、自身の子孫を通じた自身の嫁の一人に相続させることができるのである。ただし、以下のことが了解されなければならない(ἐκείνου τῶν ὁμολογουμένων εἶναι ὀφείλοντος ὡς...)。すなわち、私が特に男性のみに言及している場合であっても、それによって女性のことも同時に理解されねばならず、これらの住居に関する本条項に関する限りは、女性も同じく言明されていると考えられなければならないということである*14

 また、生じないよう祈っていることではあるが、この血統が絶え、ポルフュロゲネトスのアンナ殿の家系の者が誰一人残っていない場合は、これらの建物は本女子修道院管理(ἐξουσία)の下へと復帰するものと定める。そして、外側の中庭(αὐλή)の建物は、借家へと形を変え、それらの賃料は修道院が享受する一方、内側の中庭の建物は、取り除いた上でその建材を本院の希望通りに用い、またその敷地は商用の庭園および果樹園(περιβόλιά τε καὶ παραδείσοι ἐπικερδεῖς)として用い、その全収益は、浴場のものも含め、修道院が享受する。

権利者への許可・禁止事項

 また、先述の住居において、占有(νομή)居住(οἴκησις)をその時々で有することになっている者たちは、そこで敬虔に暮らし、ケカリトメネ修道院に決して損害(περικοπή)をもたらさない。しかし彼らは、彼らに対して認められている建物の敷地の中で、彼らの希望する場所に建物を設けることができ、これを男子修道院および女子修道院内の何物をも見下ろすことのできない限りの高さにすることが許される。ただし彼らは、修道院や建物の何も支えていない壁(ἀργοὶ τοίχοι)の周囲に何一つ建物を寄りかからせることはなく、それら〔の建物〕は私のもとでそのようになっているのと同様、いずれの箇所においても自立した状態(ἐλεύθερα)となる*15

 また、先述の建物の占有(κατοχή καὶ νομή)を有すると定められた者たちのうち何人によろうとも、売却、賃貸、交換(ἀνταλλαγή)、贈与、抵当、質、その他の方法によって、これらの使用が外部の人物に許容されることはない。それどころか、この権利を取得した者は、(おそらく他の場所に自身の居所を構えたうえで、)単に他の何者かをこれら〔の建物〕に入居させることすら許されない。このことは私が完全に禁じている。

 また、生じてほしくはないが、本修道院の建物の使用をある時点で有している人物が、(再びこれらについての言葉を繰り返さねばならないが、*16)何らかの形で、公的(δημοσιακή)であれ私的(ἰδιωτική)であれ、また財産上(χρηματική)であれ刑事上(έγκληματική)であれ責任(ἐνοχή)を課せられた場合、あるいは大逆罪(καθοσίωσις)に問われた場合であっても、私は以下のことを望む。

 すなわち、これらの建物やその利用が責任の対象とされ(ένοχοποιεῖσθαι)ず、あらゆる責任(ἐνοχή)から自由であること。そしてまた、責任(ἐνοχή)財産上(χρηματική)のものである場合は、たとえその人物の他の全財産が法に従って債権者(χρεώσται)のものとなったとしても、これらの使用を有している同人物は、引き続きこれらを占有する(κατέχειν καὶ νέμεσθαι)ことである。というのも、これらの建物とそれに属するものすべての使用と占有(κατοχή)は、あらゆる財産上の責任(χρηματικὴ ἐνοχή)を超越していなければならないためである。これは、それらを占有する(κατέχειν)者たちに対して、私がそのような形でそれらを相続させているためである。

 他方、罪(εὐθύνη)刑事上(έγκληματική)のもの、あるいは大逆罪(καθοσίωσις)である場合は、それ〔=建物の使用〕は、上記の規定(διάστιξις)と決定に従って、その者に次いで指定されている人物に帰するよう〔私は望む〕*17。そのような人物が絶える場合は、〔建物の使用は〕所有者(δεσπότις)である修道院へと帰する。

 また、――生じるなかれ――これらの住居が一部であれ全部であれ焼失した場合、私は、居住の帰属している建物が無に帰したがゆえに使用の権利が停止するということは望まない。むしろ、上述の規定に従ってその使用の権利を有している者が、再度これ〔=使用〕を有し、また上述の権利を占有し、行使する(κατέχειν τὰ τοιαῦτα δίκαια ὡς ἄνωθεν εἴρηται καὶ χρᾶσθαι τούτοις)ことを私は望む。その際その者は、焼けた部分のうち、どこであれ可能な部分に建物を再建することが許されるが、これらの相続と移転に関する規定(διάστιξις)は、上記でより明確に述べられた通りに守られ、有効でなければならない。

 ただし、何者かに対してそれらの敷地を、庭園にしたり借家を建設したりするために譲渡することは何人にも許されず、居住のために、自身に可能な別の建物を再び建設する〔ことが許される〕。そして、この敷地を私のこの定めに反して別の方法で使用した者は、これら〔の建物〕から排除され、これらは上記で定められたところに従い、排除された者に次いで指定されている者へと移転する。

修道院による権利侵害・規約違反の禁止

 さらに、定められた命令と規定(διάστιξις)が全て確かなものであり続けることを私は望んでおり、修道院側が何らかの形で、私によってここに定められたところに違反することは許されない。というのも、これらの不動産の権利の保障を私は修道院側に対してこのように、またこれらの規定とともに行っており、また上述の仕方でそれらの所有権(δεσποτεία)修道院に属するよう命じているからである。

 また、たとえ修道院側が何らかの文書その他によって、これらの建物その他および、それらに伴うあらゆる物に関する権利を取得した場合であっても、私は、それら〔=建物等〕について、ここに命じられたところに反して何事かが生じることを望まない。というのも、当修道院全体と、その周囲にあり〔修道院に〕属するものを、多額の出費と負担によって設けた私には、これらの不動産について自身の考えを定めとすることが完全に許されるのであり、その上で私は自らの定めが不変のものであり続けることを望んでいるためである。そして、修道女たちがそれ以外の何かを試みた場合は、彼女たちはいかなる法廷においても受け入れられず、その試みの首謀者たちは他の者たちによって追放される。

要旨

・序文
 修道院に建設された豪華な建物について、
 エウドキアの死に伴い、新たな措置が必要になった
・アンナの権利
 ・エイレーネーの死後、建物に居住し、これらを利用する
 ・建物の新築・増改築も可能
  ・修道院を覗き見ることができるような変更は不可
・アンナ没後の扱い
 フィラントロポス修道院側へせり出している建物は取り壊す
・権利相続の原則
 ・アンナの死後は娘のエイレーネーが権利を受け継ぐ
 ・権利者は、遺言によって自身の子孫に権利を受け継がせることができる
  ・自身の子孫の配偶者も遺言によって指定することができる
   ・その配偶者が再婚した場合は、権利はアンナの子孫へ戻る
 ・遺言で特に定めのない場合は、権利は権利者の子孫のうち最年長者へ受け継がれる
 ・権利者の直系子孫がいない場合は、アンナの子孫のうち最年長者へ受け継がれる
 ・アンナの子孫が絶えた場合は、建物の占有は修道院へ復帰する
・権利者への許可・禁止事項
 ・権利者は新たな建物を建設してもよい
 ・権利者は外部の人物に建物の使用・居住をさせてはならない
 ・建物の占有・使用の権利は債権や財産没収の対象にならない
 ・建物が焼失した場合は権利者が再建できる
  ・他者への敷地の譲渡や賃貸は不可
修道院による権利侵害・規約違反の禁止

 

課題と疑問点

1. 男子禁制と外部との交流(前回の続き)

 第4条を読んだ際、「修道院内に設けられている皇族女性用の住居とは具体的にどのようなものなのか」「皇族女性も修道院の男子禁制を遵守することが命じられているが、修道院の男子禁制と、実際に行われていた男性の文人たちとの交流はどのような関係にあるのか」という疑問が出ました。第79条を読むことで、これらの疑問についてはある程度解決することができました。

 第4条で言及されている、修道女となった皇族の暮らす特別な住居と、第79条で扱いが定められている、エイレーネーやアンナらが代々居住する豪華な建物。一見して両者は同一の建物を指しているのではないかと考えることもできますが、第79条を読む限り、後者の建物は前者とは別のもので、男子禁制の場の外に設けられたものなのではないか、と考えられます。

 というのも、第79条で扱われる建物の居住の権利は、アンナの死後その子孫に受け継がれることになっていますが、男性もこれを相続できることになっているためです*18。さらに、第79条では、アンナの血統の断絶後は、これらの建物と敷地に関しては、所有者たる修道院の管理下に復帰し、家屋の賃料等も含めた収入源として活用することが想定されており*19、このことも、この場所が修道生活が営まれる場とは区別されていることを示唆しています。

 以上のことから、少なくとも、アンナの暮らしていた皇族屋敷は、修道院が男子禁制であることの制約を受けることなく、男性である文人たちとアンナが交流を持つことができる場だったのではないかと考えることができそうです。

2. 第4条のtropikeと第79条の建物

 他方、「第4条に登場する皇族修道女用の屋敷(tropike)とはどういう建物なのか」という疑問に関しては、第79条の建物がそれとは別物ということになると、この規定を手がかりに考えることは難しいということになります。もちろん、第79条は第4条よりも後になって追加された条項であるため、同じ建物が時期によって異なる扱いを受けていた可能性もありますが、この記事を執筆した時点では結論に至ることができていません。

3. nome, katoche, etc.

 Oxford Dictionary of Byzantiumの"possession"の記事では、ローマ法の占有(possessio)にあたるギリシア語として、nomeとkatocheが挙げられています*20。この二つの単語は、今回の条文にも登場しているのですが、時に併記され、時に片方のみが使用されています。この両者について、意味や用法の違いはあるのでしょうか。

 なお、ODBの同記事では、nomeとkatocheとdespoteia(所有、dominatio)がしばしば不正確に用いられていたという記述がありますが、この第79条では、概念としての所有と占有に関しては、屋敷の所有者は一貫して修道院であり、占有と使用の権利がエイレーネーからアンナとその子孫に受け継がれていくということで、明確に区別され、nome・katocheとdespoteiaとの間の混同は生じていないように見えます。

 最初にも述べたとおり、nomeとkatocheに限らず、今回の訳文では、法制度に関する訳語が不正確であったり、術語をそれと気づかずに訳し流してしまっていたりする箇所があるかと思います。私の調査不足によるもので恐縮ですが、詳しい方に訂正・ご教示いただければ幸いです。

次回予告

 次回は修道院の管理者(ephoros)について定めた第3条か第80条、あるいは修道院が覗き見られてはならないことを定めた第74条のいずれかを読むことを考えていますが、その前に別の短い史料に寄り道するかもしれません。今回は条文が長く、更新に時間がかかってしまったため、少ない作業で更新が可能なものから取り組みたいと思っています。

参考文献

Gautier, P.(ed.), "Le typikon de la Théotokos Kécharitôménè," Revue des études byzantines 43, 1985, pp. 5-165.
Jordan, R., "Kecharitomene: Typikon of Empress Irene Doukaina Komnene for the Convent of the Mother of God Kecharitomene in Constantinople" in J. Thomas, A. C. Hero (eds.), Byzantine Monastic Foundation Documents: A Complete Translation of the Surviving Founders' Typika and Testaments, Washington, D. C., 2000, pp. 649-724.

 

井上浩一『歴史学の慰め アンナ・コムネナの生涯と作品』(白水社、2020年)
根津由喜夫『ビザンツ 幻影の世界帝国』(講談社、1999年)
Kazhdan, A. P. (ed.) The Oxford Dictionary of Byzantium, Oxford, 1991, 3 vols.
Mitsiou, E., "The Monastery of Kecharitomene and the Contribution of the Assumptionists to the Study of Female Monasticism in Byzantium," in M.-H. Blanchet and I.-A. Tudorie(eds.), L'apport des Assomptionnistes français aux études byzantines, Paris, 2017, pp. 327-344.

注釈

*1:歴史学の慰め』130~131頁。

*2:P. Gautier(ed.), "Le typikon de la Théotokos Kécharitôménè," Revue des études byzantines 43, 1985, pp. 5-165  https://www.persee.fr/doc/rebyz_0766-5598_1985_num_43_1_2170

*3:R. Jordan, "Kecharitomene: Typikon of Empress Irene Doukaina Komnene for the Convent of the Mother of God Kecharitomene in Constantinople" in J. Thomas, A. C. Hero (eds.), Byzantine Monastic Foundation Documents: A Complete Translation of the Surviving Founders' Typika and Testaments, Washington, D. C., 2000, pp. 649-724オープンアクセスの史料集。以下よりpdfがダウンロードできる。 Byzantine Monastic Foundation Documents — Dumbarton Oaks

*4:本記事で「私」と訳している部分の中には、ギリシア語では「ἡ βασιλεία μου (he basileia mou)」と述べられている箇所が多数ある。皇帝や皇后などが自身のことを指す際にみられる表現で、直訳すると「我が帝権」となり、これを主語に取る動詞は三人称の活用形を示す(英語の「your majesty」などに近い)。ここではわかりやすく日本語に置き換えられる表現が思いつかなかったため「私」とした。

*5:エウドキアはアレクシオス1世とエイレーネーの娘で、アンナの妹。

*6:新共同訳。

*7:カイサリッサは、ビザンツ爵位カイサルの女性形。アンナの夫であるニケフォロス・ブリュエンニオスがアレクシオス1世によってこの位を与えられていたことから、アンナはこのように呼ばれていたが、井上浩一氏によれば、アンナ自らこの称号を用いた形跡はない(『歴史学の慰め』85頁)。カイサルは、かつては副帝に相当する至高の爵位であったが、アレクシオス1世時代の爵位の再編によって上位の爵位が創設されてその地位を相対的に減じ、アレクシオス1世の孫のマヌエル1世の時代には、皇帝の長女の夫に与えられる爵位となっていた(根津由喜夫『ビザンツ 幻影の世界帝国』23~27頁)。

*8:ケカリトメネ修道院の空間構成について整理したミツィウは、このかつて葡萄畑であった中庭を「外側の中庭」のことと理解しているが(Mitsiou, p. 338)、訳者はこの箇所がどうしてそう取れるのか理解が及んでいない。中庭については第74条にも記述があるため、そちらも参照したい。

*9:聖デメトリオス教会と二つの浴場について、ミツィウは皇族屋敷内にあるものと考えている(Mitsiou, p.338)。

*10:フィラントロポス修道院は、エイレーネーによってケカリトメネ修道院とともに建立された男子修道院で、アレクシオス1世が死後に埋葬されたと考えられている。両修道院はともに現存しない。

*11:ギリシア語の「前腕」に由来する長さの単位。Oxford Dictionary of Byzantium(以下ODB)によると、ビザンツには2種類の主要なペキュスの単位が知られ、土木建築では46.8cmの短いペキュス、土地測量では62.5cmの長いペキュスが用いられていた(ODB, s. v. "Pechys," E. Schilbach)。ミツィウは後者を基準にケカリトメネ修道院の広さを約4945平方mと推定している(Mitsiou, pp. 342-344)。

*12:ケカリトメネ修道院については、規約第74条で周囲から覗き見られることがあってはならないことが定められている。フィラントロポス修道院についても、本来は外部からの視線が遮られるべきものと考えられていたのであろう。

*13:「最年長の者(ὁ τῷ χρόνῳ προήκων)」が男性形で出ているため、最年長の「男子」と解することもできるが、前段落や、2段落後の記述から、性別に関係なく最年長者に受け継がれることが意図されていたと思われる。(当初公開時は男子と訳していたが第80条の訳にあたって修正)

*14:男性子孫の嫁だけではなく、女性子孫の婿も指名されうるということか。断言できず。

*15:フィラントロポス修道院との間の隔壁など、建物の壁として機能していない壁に対して、これに接する建物や、これを建物と共通の壁としてしまうような建物を建設することを禁じたものか。

*16:規約上でこのフレーズに対応する箇所は未だ見つけられていない

*17:建物の時の占有者が財産没収等の処置の対象になった場合は、その人物から権利が剥奪され、死亡時と同様に、自身の子孫のうち最年長の者、あるいはアンナの子孫のうち最年長の者、という先述の相続順位に従って移転するということか。

*18:「権利相続の原則」第2段落「上記の建物その他の占有(κατοχὴ καὶ νομή)の権利は、以下の規定(διάστιξις)に従って、ポルフュロゲネトスのアンナ殿の子、孫、あるいは曾孫のうち、最年長の男子または女子に移転する。」

*19:「権利相続の原則」最終段落。

*20:ODB, pp. 1707-1708, s. v. "possession," M. T. Fögen